「枯葉剤被害」の怪                 ――― 2008年4月取材

YouTube 1  2

「枯葉剤に隠れた被害 カンボジア国境」という記事が今年二月十五日、日本の全国紙に載った。「カンボジア東部で障害を持つ新生児の割合が他地域の50倍以上で、ベトナム戦争時代に撒かれた枯葉剤によるものと見られる」と報じている。「抜かれた!」というよりも、「本当か?」というのが正直な印象だった。とりあえずプノンペンへメールや電話で問い合わせてみたが、母子医療の専門家を送り込んでいる国際協力機構(JICA)をはじめ、保健省や公衆衛生省、カンボジア人の医師たちの間では、そんなことは噂にも上っていないことが判った。また、枯葉剤に含まれるダイオキシンと奇形の因果関係は、動物実験でこそ確認されているが、ヒトへの影響は未解明というのが近年通説となっている。件の新聞記事は「地元医師の証言」を基に書かれているが、その医師の氏名や働いている病院の名称は伏せられている。もし真実ならば詳しい続報が要る。また、そんな事実がないならば「ない」と報道しなければならない。検証のため現地へ飛んだ。

 地雷被害は減り、クラスター弾などのERWが深刻

写真:CMACが作成した地図は、国境や幹道が集中して空爆されたことを物語っている
 
 カンボジア東部は、農産品や日用品などを満載したトラックがベトナムと行き来し、国道の両側はゴムのプランテーションと水田が半々といった平原。まずは枯葉剤の痕跡を求めて、戦争爆発性残存物(ERW)全般を取り扱っているカンボジア地雷対策センター(CMAC)東部事務所を、コンポンチャム州の州都コンポンチャム市に訪ねた。チェン・ラディ所長(46)は「カンボジアでは枯葉剤の被害は聞いたことがないですね」と、新聞報道に怪訝な表情を隠さない。「我々が東部に展開して以来、白燐弾はあっても、いわゆる化学兵器は見つけていません」。そんなことよりも言わんばかりに、陳列棚から火薬を抜いたクラスター弾の子爆弾を手に取った。「これが市民にとって、最も危険なんです。投下されてから30年以上たっても、まだ生きていて、投げたり、落としたりするとすぐに爆発します」。中にはパチンコ玉ほどの鉄球が詰まっていて、爆発するとその鉄球が飛び散り、半径30メートル以内にいる人が致命傷を負うという。

 この国の戦後復興に立ちはだかるものとして地雷が知られているが、CMACは未処理の地雷原は限定でき、地雷による被害者は向こう5年から10年で根絶できる見通しがついたと発表している。だが、日本も当事者として禁止条約を締結しようとしているクラスター弾が、カンボジアでも地雷の約1.5倍、255人の犠牲者(06年)を出している。これらは枯葉剤同様、ベトナム戦争時代に米軍機から投下されたもの。米軍はカンボジア領内を走るホーチミンルートと点在するベトコン基地を叩くため、およそ50万トンを空爆している。CMACは、その約10分の1がいわゆる不発弾で、約375万個のクラスター子爆弾が散らばっていると見積もっている。

写真:無誘導弾MK82の爆破処理の瞬間。半径300メートルに被害が及ぶという=コンポンチャム州のベトナム国境近くで

 新聞記事が障害を持った新生児が多発しているとする地域は、コンポンチャム州東端のベトナム国境沿いのポンハクレック郡と、その北東隣りのメモット郡。不発弾が多く、不発弾処理場もある地域だ。国道から未舗装の道を入り、ゴム園も途切れた不発弾処理場。赤土の大地にショベルカーで深さ5メートル程の穴を堀り、可塑性爆薬を付けた不発弾を穴の底に横たえ、導爆線だけを出して埋め戻す。待避する側には余った土を壁のように盛る。「危険ですから、1キロ以上離れてください」と拡声器で振れ回った後、CMAC隊員も1キロ離れる。発電機に発破母線を繋ぎ、「バイ、ピー、ムォイ!」。勢いよくクランクを回すと、50メートルを超す土柱が立ち上がり、乾いた爆発音が3秒ほど遅れて静寂を切り裂いた。土煙は白い雲に到くほど青空を昇っていく。250キロ無誘導弾、MK82の爆破処理である。

 旧ホーチミンルート沿いの記憶

  こうした不発弾とは違い、枯葉剤は目に見える形では残っていない。かつてジャングルの中を走っていた旧ホーチミンルートの一部で、今もカンボジアの幹道として使われている道路を見に行った。メモット郡トンレチャム、国境を成す小川の対岸はベトナムのロックニン。アンコールワットの尖塔をあしらった国旗と無線と銃がある番小屋がなければ、他には一軒の民家も商店もなく、ここが国境だとは思えない。高木がほとんどない周囲の風景が、無計画な伐採のせいなのか、枯葉剤の影響なのかは分からない。 「土地が痩せていてキャッサバ以外はあまり育ちません」というピ・ロットさん(49)は15歳頃の光景を鮮明に覚えていた。「ベトコンが逃げ込んで来て、アメリカ軍はジープをヘリコプターで吊して運んできて、この辺に前線基地を作っていました」。枯葉剤のことを尋ねると、「撒いている飛行機は見えなかったけれど、爆音がして、朝になると葉に粉が積もっていた。大きな木が枯れたよ」

 ベトナム戦争中トレメン村の守備隊員で、今は同村の村長を務めるミン・ポーンさん(69)は「早朝、3機編隊で国境沿いを飛んで、粉を撒いていました。その後、主にベトナム側で、たくさんの木が枯れました」。新聞記事では「木がすべて枯れた」と言ったことになっているミン村長に改めて尋ねると「風でこちら側にも粉が飛んできて、ジャックフルーツなどの果樹が枯れました」と食い違う。
▲ 上にもどる
 プレアプダウ村の過去と現在

 2005年にシャム双生児を産んだと報じられたポンハクレック郡プレアプダウ村のスレイ・ナンさん(23)に会った。記事には「医者から『こんな子が生まれたのはカルマ(宿業)だ』と言われ落ち込んだ」とあったが、本人は「そんな差別などなく、逆にみんな哀れんでくれました」と。東南アジアの人にはよくあることだが、スレイさんも悲痛な経験を敢えて笑顔で語った。

 この村にベトナム戦争当時からずっと住んでいるスレイ・ノップさん(66)は12人の子を産んだが、障害を持って生まれたのはミー・チュックさん(30)一人だけだったという。ミーさんは家族との意志疎通はできるが、生まれつき背骨や手足の骨が曲がっていて、ほぼ寝たきり。「ベトナム戦争の時 粉を撒く飛行機は見たことがありますか?」と尋ねると、スレイさんは「ありますよ、はい。あっちの方角だったよ」と指差した。複数の証言から確かに米軍はベトナム国境沿いのカンボジア領に枯葉剤を撒いていたようだが、ミーさんのような奇形との因果関係は何ら分かっていない。

 プレアプダウ村のレス・トゥオン村長(65)は自宅に置いているノートを確認した上で、奇形があった赤ちゃんはここ3年間に3人、それ以前は全くなかったと言う。加えて、プレアプダウ村を管轄する保健所で、妊婦の栄養指導や健診に当たっているソット・ソティア保健士(37)は、日本の新聞報道は現状からかけ離れていると言う。「枯葉剤の散布は殆どベトナム側だったと思います。我々はそれより近年、野菜に含まれている化学物質が危険だと考えています」。保健所を訪ねた朝、新たな命が生まれようとしていた。ソット保健士の他に助産婦もいるが、不安なケースは、医師がいる郡の病院へ。さらには州の病院へと紹介していくシステムが既に確立されている。分娩室に入って数時間、難産だったため救急車が迎えに来た。搬送先のポンハクレック郡病院では吸引こそしたが、到着1時間ほどで無事健康な赤ちゃんが生まれた。
▲ 上にもどる
 「地元医師の証言」?

写真:入院患者を回診するエック・ケアン院長=ポンハクレック郡病院で

 「奇形児がプノンペンの50倍以上の確率で生まれている」という報道の根拠は、「同州の中心医療機関・郡病院の医師は『毎月200人前後の新生児が生まれるが、奇形を持つ比率は5〜6%に上る』と明かした」という「地元医師の証言」である。プレアプダウ村のあるポンハクレック郡の郡病院は1軒だけ。状況を掌握していないはずがないエック・ケアン院長(36)に聞いた。「妊婦の95%が分娩までに健診を受けに来ていて、奇形児、低体重児、死産、それぞれ年間2〜3ケースずつです。妊婦教育の効果だと思っています。2007年、奇形児は3例だけでした」

 カンボジアの地方にはまだまだ病院は少ない。裕福なカンボジア人はプノンペンや外国で治療を受けるので、地方には私立の医療機関はなく、公立の一系統だ。コンポンチャム州で発生した難しいケースの殆どが、州都にあるコンポンチャム病院へ搬送されてくる。翻訳され英字新聞にも載った記事を、コンポンチャム病院のオーク・バラン産婦人科長(49)に読んでもらった。「毎日診ていますが、この数値はちょっと高すぎると思います。プノンペンで研修会を開いていますが、そもそも奇形児の統計は出していないんです」と、データの出所を訝っている様子だ。「正直なところ、母子の救命で手いっぱい、奇形児の調査研究は未だしていません。しかし、ここ3か月を見ても、奇形児は1例だけ。つまり300人に1人です」。難しいケースが集まる州病院でさえ、約0.3%ということだ。

 ニュースにはならないが…

 一見ありそうな話でショッキングな新聞報道だったが、カンボジア東部の新生児に奇形が突出して見られるという事実は確認できなかった。むしろ、取り立ててニュースにはならないが、カンボジアは医療面でも一歩一歩復興を遂げている様子が見えてきた。

▲ 上にもどる
(文・写真/阿佐部伸一)