紅旗の下、民主選挙 1998年5月取材
 返還後の香港で二十四日、初の立法会選挙が行われた。豪雨にも五三%という最高投票率と、 直接選挙枠での民主派躍進は、不況と政府の無策が高所得の「浮動層」を動かしたから。こうしたマスコミ論調のさなか、 香港や北京の市民に電話インタビューし、専門家の分析に耳を傾けた。

  初の立法会選挙 --- 市民の声など電話インタビュー

 「『前線』に入れました」。香港の観光ガイド、陳栄斌さん=仮名(43)が開票結果に喜んでいるのは、その弾む声で分かった。 「前線」と言えば、新華社の姜恩柱香港支社長をプライバシー保護法違反で告訴している劉慧卿氏の党。「悪玉を一掃したいんです。 フィリピンやタイ人に仕事を横取りされ、失業者が増えていますが、役人は彼らから袖の下を取って不法滞在を見逃しているんです」。

写真:復帰翌日の香港で行われた民主化デモ。届け出制から許可制に変ったが、一国二制度のもと、 いまもチベットや台湾問題を先鋭化させなければ「表現の自由」は保障されている

 中国は昨年だけで一兆二千億円相当を香港で調達したが、 中国国営企業の香港上場に当たっていた投資会社が今年初頭倒産した。大陸株の暴落だけでなく、建設工事があちこちで中断、 失業率は三.八%と過去十四年で最高となった。アジア全体の不況で観光客が減少、仕事が減っている陳さんは「問題意識があるから、 みんな投票に行ったんですよ」と新立法会に期待する。
 民主派勢力の復活に触れず「総じて公開、公正、清潔な選挙が行われた」と配信した新華社を非難する欧米ジャーナリストに、 むしろ政治臭がする。北京へ電話すると「聞かれて、思い出したくらいだよ」。李軍さん=仮名(36)出版社幹部は、 香港の選挙には自分も読者も関心がないという。「一地方都市で誰が選ばれようが関係ない。ここの仕事は充実してるし、 文化も大陸の方がずっと面白い。香港に魅力なんて感じないなあ」。
 香港立法会(六十議席)の直接選挙枠は六年後には三十議席になるが、今回は二十議席だけ。 また、候補者の人気が当落を決めた返還前の小選挙区制から、親中国派に有利な中選挙区比例代表制に改められてもいた。 香港基本法との矛盾を生むことなく、中国の主権を維持するためである。
 直接選挙といえども有権者登録が必要で、投票権を持つ市民は有資格者の六五%、約二百八十万人だ。 その一人、生迪さん=仮名(33)は保険外交員。「係員が執拗なので三年前に登録したが、未だ一度も投票したことないよ」。 彼は政府は実績を上げていないので、政治に興味が持てないという。ニワトリから感染するインフルエンザ騒動や、 日本人観光客へのホテル代割増疑惑などにも、特区政府は明確な対策を打ち出さず、市民経済は大きな打撃を受けた。 「生活安定のためには、政治より、まず仕事。次に家庭です」と生迪さんはきょうも保険のセールスに忙しい。
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 マスコミ報道とに温度差も

 電話の声にマスコミ報道との温度差を感じるのは、過激な政治活動さえしなければ、 努力次第で良い生活が手に入るという社会主義と資本主義の融合が、大陸でも香港特区でも成功している証なのか。 モラロジー研究所の菅沼雲龍博士=日中関係専攻は中立的な見方で解く。
 英国が最後の総督パッテンの時に民主選挙を始めたのは、返還後も影響力を残したいといった不純な動機によると指摘する。 三〇%代だった英領時代の低投票率は、 天安門事件や返還後の体制不安から市民の政治への関心は却って高かったことから操作の疑いがあるという。 一国二制度が本当に実行されるのかという不安は、中国共産党が圧政など敷かなかったこの一年でかなり薄れた。 今回の五三%という投票率を、彼は高いとは見ず、香港市民の安堵であり、中国政府への信頼の現れだという。 村レベル、つまり下から自由選挙を導入している大陸の民主化政策に着目すれば、 紅旗の下での香港立法会選挙も段階的に完全な民主選挙への移行が予測できる。 上からのロシアとは逆の民主化アプローチを採っている中国を理解すべきと菅沼氏は提言している。
(文・写真 阿佐部伸一)

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