エイズ最前線 ── 1989年8月取材
 米兵上陸─── 浜辺で感染防止呼びかけ

写真:上陸する米兵にエイズ感染防止を呼び掛けるトロイさん

 刺すような日差しの中、中年の女性が米兵に呼びかけていた。「コンドームを忘れないでね」。タイ・バンコクから車で二時間半、観光都市パタヤ。ちょうど米第七艦隊の米兵が朝から続々と上陸していた。ここにあるのはバーとホテル。R&R(休養と娯楽)の兵士で満員の木造船が、沖の軍艦から数分おきに白い砂浜に乗り上げる。椰子の木陰には鈴なりになって客を待つ女性たち。
 タイエイズ協会代表のソマトラ・トロイさん(54) がエイズ感染防止を米兵に呼びかけたのは、この日が二回目。彼女は二十八年間米国に住み、シカゴの病院で看護婦をしていた。四年前、同性愛の男性エイズ患者から「僕の恋人はタイ人でした」と告白されショックを受けた。さらに一九八六年、観光キャンペーンのため訪米したタイ観光局の職員らがエイズの存在を否定したことに疑いを深めた。当時、米国にはすでに四万人近いエイズ患者がいた。「一刻も早く手を打たなければタイも……」。彼女は翌年の四月、夫と三人の子を米国に残し祖国に戻った。
 一九八九年、世界保健機関(WHO)は初めてタイのエイズ患者・感染者数を発表した。一九八七年末に百九十三人だったのが、前年末には十六倍増の三千百八十人。世界に例のない急増だ。「政府が外貨の稼ぎ頭である観光産業を保護するため、エイズの存在を隠していたんです」。トロイさんは憤る。
 Tシャツに半ズボン姿で降り立った米兵たちは、トロイさんの忠告をお節介と言わんばかりに娘たちと腕を組み、街の中へ消えて行った。一人の青年兵は言う。「船では大きな箱にコンドームがごっそり入れてあって、持って下船するよう勧めているんだ。無料さ。僕も六、七個もらって来たよ、ほら。だからダイジョブ」。彼は空母ミッドウェーの二等機関士。日本語は母港の横須賀で覚えたという。
 一九八一年、米国で初めてエイズ患者が発見されて以来、エイズ患者・感染者は欧米、アフリカを中心に急増。一時のエイズパニックは沈静化したものの、WHOの発表ではタイで爆発的に拡大している。日本を含めエイズ汚染が少ないとされてきたアジアでなぜなのか。その実態と背景を探る。
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 パッポン通り ──「オキャクサン」のひざに

 「オキャクサン! カワイイコイマス」。一つ覚えの日本語で客引き達がまとわりつく。バンコクの歓楽街、パッポン通り。軒を連ねるゴーゴーバーで若い女性が踊りまくる。タイはいま雨期で観光はオフシーズン。だが、ドンムアン国際空港の入管ブースには、長い行列が何十本もできている。声高な日本語が聞こえた。国家予算の十五%以上の外貨を観光で稼ぐタイ。昨年訪れた観光客は約四百万人。うち四十五万人は日本人だった。
 一つのデータがある。昨年チェンマイで七千人を対象としたエイズ調査によると、抗体陽性者は六百八人。内訳は売春婦二百六十七人、輸血者百七十人、麻薬患者八十六人、その他八十五人(チェンマイ保健所調べ)。タイ公衆衛生省の調査でも、過去二年七ヵ月の患者・感染者の感染経路別増加率は静脈注射による麻薬常用者が二・六倍なのに対し、異性間性交渉が十一・四倍と激増している。
 パッポン通りで働く女性たちを支援する民間団体「エンパワー」のアピス代表(42) に会った。「英語教室でコンドームの使い方を教えたり、小冊子を配ったりしていますが、要は男の意識が変わらなければ……。エイズ騒ぎで十代前半の売春が増えていますよ」。
 午後十時半。原色のライトと耳をつんざくビートが渦巻く。ゴーゴーバーの店長(27)は「エイズが騒がれだしてからも景気は変わらないね。ウチは客を取った翌日は必ず契約医のところで検査させている。もし陽性が出たら即クビにしますから」。別のバー。「コンドームをしてくれない客は一割くらいかな。恐いからその分うんと高くしてもらっているの」とプンさん(18)。明日が期限の家賃が足らないと、膝に乗って来る。パッポン通りの隣、タニヤ通りは、“日本人専用街”。日本式ナイトクラブでは「そうね、八割が連れ出すわね。女の子一人当たり、月に十五人くらいかな。性病検査は毎週、エイズのは六ヵ月ごとにしているわ」。きれいな英語で話すテェウさん(23)は日本で働きたいと言う。
 エイズ検査で抗体が見つかるのはウイルスが体に侵入して二〜十二週間。一般に三ヵ月たたないと検査の意味がないといわれる。「タイでは売春婦が最も移されやすく、最も移しやすい集団です。そして対処が難しいのも彼女たちです」(タイ公衆衛生省)
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 温床── ヘロインと隣合わせ

写真:「あなたには可愛い子がいるでしょ」と、励まされるノイさん

 ホテルが点在するバンコクの一角。紫色のイルミネーションが眩しいほどの光を放っている。バンコクに数あるゲイバーの一つ。エイズ感染防止のキャンペーン・ショーが開かれていた。既にゲイらしい若者たちで埋め尽くされている。
 司会者が登場した。「エイズってどんな病気か皆さん知ってますね」。エイズとその予防の基礎知識をブラックユーモアを交えて説明する。彼もタイのショウビジネス界に生きるゲイ。
 配られたパンフレットで顔を隠していたゲイたちの間から笑いが起きる。「さあ、お待たせ。本日のメーンイベント、コンドームの装着競争だよ」。恥ずかしがりながら数人が壇上へ。キュウリや大根などを一本ずつ選び取ったところで「用意、始め!」。瞬く間に「一番」「二番」とコンドームをかぶせたそれを高々と揚げる。
 楽屋と客席を行き来する和服姿の人がいた。レック・マスダさん(38) 。タイのゲイバーの草分け「スーパーレック」の経営者でゲイ産業経営者会議の書記長。日系二世だ。レックさんは言った。「日本ではこんなに明るくは出来ないでしょ。私たちをエイズの“要注意人物”と周囲が見るから、こうしてキャンペーンの先頭に立っているの。だって特定グループへの偏見、差別は彼らを地下に潜らせてしまい、感染防止対策を空回りさせてしまうでしょ」
 バンコク最大のスラム、クロントイ。トタン屋根に照り返す夕日に、彼女の横顔がシルエットをつくる。ショートカットの髪、化粧気のない小麦色の童顔。ノイさん、 二十三歳。左手首のブレスレットの陰にミミズ腫れが見え隠れする。ヘロインの注射痕だ。プラティープ財団エイズプロジェクト主任のニッタヤーさん(44) は、ノイさんを気遣いながら口を開いた
 「六ヵ月前、抗体検査を受けさせて陽性とわかりました。売春をやめさせなければならないのですが、やめても彼女に仕事はありません。九歳になる男の子もいるし。とにかく二週間に二ダースずつコンドームを渡して、客に使わせるようこの子には言ってるんです」
 ノイさんは「専用の注射器を使っていた。注射が原因ではない」と言うが……。タイの麻薬常習者四十−六十万人、男性同性愛者は約十万人。もちろん推定で、実態は不明だ。
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 偏見──発病後、子供の就職ダメ

 タイでただ一人、エイズ患者であることを実名で報道された人がいる。シャオン・スアスムさん(50)。
 工場に囲まれた沼地に建つスアスムさん宅を訪ねた。家にはビニール袋を束ねる内職に追われる妻(43)だけ、夫の姿はなかった。別居しているという。小さな女の子が駆け寄ってきた。七歳の末っ子だ。「学校から帰ってきて『名前を変えたい』と泣きましてね。一緒に住んでいたら、他の子が遊んでくれないんです」
 夫のアパートに案内してもらう。隣に聞こえることを恐れて、彼は低い声でボソボソと話し出した。「胃が悪くて農業が続けられず、畑を担保に借りた四万バーツ(一バーツは約六円)を持って、七年前バンコクに出てきたんです」
 三年前の暮れ、何を食べても吐いてしまい入院、手術を二回受けた。退院して三ヵ月後、突然職場を訪れた公衆衛生省の役人が採血、その一週間後にエイズと宣告された。手術の時の輸血が原因だった。三年間守衛として勤めていたプラスチック工場はクビになった。スアスムさんは大学病院の医師の勧めで新聞社に訴えた。一九八七年五月、バンコクの一般紙は「病院のミス。ハイリスクグループでない人がエイズに」と実名、写真入りで報じた。約六万バーツが寄せられ、八八年から国立病院の植木に水をやる仕事が斡旋された。
 すべてが狂い始めたのは八九年年四月。発病し口内炎で何も食べられず、入院してからだ。「最初のうちは理解してくれた人達も、発病したらガラッと変わって……。本当は一ヵ月で退院できたんですが、出てきても戻れるところがないし二ヵ月いました。病院はエイズ患者でいっぱいで、頭をエイズウイルスにやられたのか、大小便をたれ流す末期患者もたくさんいました」。退院後、家には帰らず、このアパートを探したという。
 おなかが減ったとむずがる末娘をあやしていた奥さんが口をはさんだ。「この子の上に三人いるんですが、二人は決まりかけていた就職が取り消され、私もやっと見つけたゴム工場を、主人の発病を密告され五日で解雇されました」
 いつも鍵を掛けたこの部屋の住人のことを知る人は、まだこのアパートにはいない。久し振りに会ったはずの娘は、父親の側に行こうとしなかった。「どうして主人が……。あの病院に手榴弾でも投げ込みたい」
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 貧困───明日の見えない生活

 廃材で建てたバラックから弱々しい泣き声が聞こえる。女性がしわだらけの赤ん坊にミルクを飲ませていた。スラム生まれの母親は二十二歳。一年半前結婚するまで売春婦をしていた。夫婦共にヘロイン中毒。二人は今年初め、エイズの抗体検査で陽性とわかったが、彼女はすでに妊娠五ヵ月。生まれた子供はエイズに感染していた。
 プラティープ財団麻薬撲滅プロジェクトのパットプイ主任(43) は淡々と説明した。
 「これまでに百四十六人の麻薬患者を八回に分けて病院に送りましたが、七回までの百三十人中百四人、八割がエイズに感染していました」。この数字をタイのマスコミに公表した時、公衆衛生省はいい顔をしなかった。今年四月に送った患者については、検査結果の報告がない。
 パットプイさんは言う。「彼らが麻薬をやめる時までエイズは待ってくれない。とにかく注射針を介すエイズ感染を食い止めなければ」。が、スラムの現実が立ちはだかる。
 「何年後かに発病し死に至るエイズといっても、貧困に喘ぎ、明日のことより今日どうして食べようかという人達には、一体どこから手をつけたらよいのかわからない程多い問題の一つに過ぎません」
 バンコク市民の五分の一、約百三十万人がスラムに住む。チュラロンコン大学の調査によると、その八十五%が月収二千バーツ(一バーツは約六円)以下。カセサート大学のワンタナ講師(社会学)は「外国資本をタイに誘致するのは、こうした安い労働力です。低賃金でも何とか食べられるよう農産物は低価格に抑えられているから農村経済が疲弊。農民は出稼ぎを余儀なくされ、彼らはまた新たな低賃金労働者となる。悪循環です」と指摘する。
 赤ん坊は哺乳瓶をくわえても泣いている。エイズの発症で口の中は傷だらけ。飲めないのだ。プラティープ財団から支給された一ヵ月分のミルクはほとんど余っている。出生時二千九百グラムだった小さな命は三日後には二千五百グラムに。生後一ヵ月を迎えようとするいま、二千グラムあるようには見えない。
 明日が見えないどん底の生活から、ついヘロインに手を出した麻薬常用者。外国人観光客の売春の対象となる女性たち。この人たちも急速な経済発展を遂げるタイ経済の歯車の一つ一つ。その歯車の間でいま、エイズウイルスが増殖を続ける。
(文・写真/阿佐部伸一)

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