HIV感染抑制の理由             ── 2006年2月取材

 日本では過去10年でHIV(エイズウイルス)感染者が2.5倍に増えた。国連合同エイズ計画(UNAIDS)は、「日本は知識不足や感染者が社会から疎外されていることから、急速拡大は十分起こり得る」と警告する。一方、タイでは新規感染者が15年前の14万人をピークに減少に転じ、2004年には2万人を切った。感染抑制のモデルとされるタイに、統計だけでは分からないエイズとの闘いを見る。

 感染者がボランティア


写真:『HIVとエイズと共生する人たちのネットワーク』の集会。20代から60代の男女20人余りのメンバーは全員感染者。タウィー副議長の話に耳を傾け、意見や質問もする=チェンマイ県メリム郡のノンパーマン保健所で


 「第一セットが効かなくなると、第二セットですが、戻れなくなります。だから、薬の飲み方はきちんと守ってください。薬で肝臓に負担がかかっているので、お酒は止めた方が良いですよ」。チェンマイ県ノンパーマン村の保健所に、『HIV・AIDSと共生する人たちのネットワーク』のメンバー、21人が集まっていた。全員が感染者だという。健康管理の仕方を話している同ネットワーク上北支部タウィー副議長(32)は、感染のショックから自殺未遂を犯し、エイズの発症からも“生還”した人である。

 牛乳の集配トラックの運転手をやっていたタウィーさんは、20歳で感染を知ったが、その事実を誰にも話せなかった。孤独と不安から、酒を飲んで単車を飛ばし、コンクリートの車止めに突っ込んだ。「遺体はどこの寺に運んだか」と警官が尋ねるほどバイクは大破したが、彼は左腕のケガだけで済んだ。だが01年、遂にエイズを発病し、症状は目にも。失明の不安に襲われ、農薬で2度目の自殺を考えたという。しかし、「母と妹がエイズは誰でもかかる病気と言いながら、手厚く看護してくれたのです。自殺してもエイズ問題は片付かないし、人間はいずれ死ぬのだから、自分の体の中にいるHIVや社会の差別と闘ってからでも遅くないと考えるようになりました」

 まだ薬もなかった90代初頭から薬草で症状を緩和させようとした『ラッタスチャ』など、タイ各地のNGOが97年に連携したのが、このネットワーク。全国に7支部あり、感染者を中心に、家族や支援者ら約7万人が参加している。
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 「タイにも差別はあった」

 顔の撮影も許すオープンな集会では、話しかけてくる人もいた。「4、5年前まで、周囲は私の使う食器を『うつる』という目で見ていました。エイズで夫を亡くした奥さんが勤め先をクビになったり、親が感染者だからと子供が学校から閉め出されたり、それは酷いものでした」と、ナレーさん(51)は振り返る。人口約600人の彼の村では93年からの7年間に、約50人がエイズで亡くなったという。そのなかには村長も含まれていた。タイの感染者は現在、100万人以上、国民60人に1人という割合になる。

 病院とネットワークが連携

 チェンマイ郊外のサラピー病院に通院・入院するエイズ患者は計660人。伝染病抑圧課のアマリン・ノーチャイウォン課長(42)は、治療は病院がするが、その前後に不可欠な予防や在宅ケア、精神的支援で同ネットワークの活躍を高く評価している。「彼らは学校や工業団地などで集会を開いて、『私は普通の人でしょ。何も悪いことなどしてません。あなた方と同じような生活をしていて感染したのです』と話しています。その結果、感染する人は『同性愛や麻薬中毒の変な人』と差別されていましたが、今では『知識がなく、無防備な人』と分かり、病院にも来やすくなったようです」

 また、ネットワークのメンバーたちは、新たに感染が判明した人の相談も、経験者ゆえに親身に応じているという。感染にショックを受けている人は、「どうせ自分の気持ちなんて分からないだろう」と、医師や看護師に心を開かないこともあるからだ。 『cd4』はHIVが破壊するリンパ球の一種で、これが減少すると免疫力が低下し、日和見感染症=エイズを発病する。健康で体調が良ければ、1立方ミリ当たり、1000個以上ある。タイの病院ではcd4が250個を切った人に無料で抗ウイルス薬を出せる。だが、いったん薬を始めると、12時間毎の服用が必須となり、4、5年毎に薬の組み合わせを変えなければ効かなくなる。さらに、この薬の特許料が昨年からアメリカとの自由貿易協定(FTA)でヤリ玉に挙げられていて、患者負担ゼロが続けられなくなる危惧がある。「だから、うちでは『250個以下、即投薬』ではなく、ネットワークと協力して、cd4の低下を食い止めようとしているのです」と、アマリン課長はケアの重要性を説く。
 
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 家庭訪問で心の支援

写真:集会や受診に来られないメンバーを家庭訪問するのもネットワークの役割。マナッさんの具合を聞き、きちんと薬を飲んでいるか確かめるワンナッパーさん(右)=チェンマイ市内で

 家庭訪問を担当するメンバーのワンナッパーさん(48)に同行した。夫婦共に感染しているチャチャイさん(33)と妻のトンリーさん(28)は、ネットワークが斡旋した刺繍の内職に励んでいた。ズボンに3カ所刺繍を入れて一着10バーツ、一日に二人で20着できる。(1バーツは約3.1円)。「他に仕事はありません。けれど、感染者だからではないと思います。隣近所も私たちのことを知ってますけど、普通に付き合ってくれてますし」。夫婦は意固地にならず、病を受容しながら、前向きに生きているように見える。

 夫はチェンマイの日本人バーで働いた後、マレーシア国境の町でカラオケ店に勤め、同じ店で働いていた同郷のトンリーさんと結婚した。妊娠した妻の受診をキッカケに、二人とも感染していたことが判明。「薬を飲んで、母乳も控えましたが、この子が感染していないか心配です」という妻に、ワンナッパーさんは、「もう3歳半でしょう、大丈夫ですよ」と言って安心させる。まだ情報も薬もなかった93年、ワンナッパーさんは2歳半だった長女をエイズで亡くしている。

 公衆衛生省のプラディット医師(54)によると、感染している妊婦を放置すれば約30%の確率で垂直感染するが、妊娠中の母親と新生児に生後3ケ月まで投薬すると、感染を6%に抑えられているそうだ。

 “チャイ・ボリス”がエイズを減らす

 ワンナッパーさんは、集会に来なかったメンバーの家も訪ねる。服飾デザイナーのマナッさん(36)は、昼間から蚊帳を吊った薄暗い部屋で横になっていた。昨年4月「起き上がるのも辛いと」受診すると、cd4は8まで下がり、エイズを発症していた。その時の体重は22キロ。毎日2回5種類の薬を飲み続け、今はcd4が79に、体重も40キロまで戻った。96年以降は薬を組み合わせて、耐性ウィルスの発生を抑える『多剤併用療法』が編み出され、「エイズは死なない病気」になっている。

 体調が良い日はネットワークの活動に参加しているマナッさんは、昨年12月メーリムのクイーンズ看護専門学校で、約100人の学生に講演した。「一番言いたかったことは、外見では感染者かどうか判らないので、予防を徹底してくださいということ。それと、医者や看護師が“チャイ・ボリス(=純真な心)”で患者に接すれば、エイズは確実に減らせると話しました」
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 社会運動が必要

 社会学を専攻するチュラロンコン大学スリチャイ・ワンゲオ助教授(57)も、感染抑制の成功には、感染者たちの活躍が大きかったと話す。「村八分にされ、絶望の淵に立っていた感染者が、自分たちでケアし、カミングアウトして助け合い、集会を開いてきました。それが正しい情報を広め、今では自分だって感染していたかも、感染するかも知れないという共通認識ができたのです」

 また、スリチャイ氏は、家族計画協会会長で『ミスター・コンドーム』の異名を取るメーチャイ・ウィラワイヤ氏の運動も挙げる。メーチャイ氏は92年に総理府の社会事業担当大臣に就き、アナン首相をエイズ対策委員会のトップに立て、公衆衛生省だけの仕事ではなく、国全体の仕事として取り組ませた。タイ政府は96年、検査と治療を無料化し、患者には月500バーツの生活費支給を始めた。同ネットワークも2千200万バーツ(今年度)の公的支援を得ている。「予防や治療を遅らせるのは差別で、差別は無知から生じます。感染抑制にはコンドームの奨励だけではなく、社会運動にすることが大切です」と、スリチャイさんは強調する。
 
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 日本人感染者のボランティア

 北タイの国道沿いに『一村一品』にも指定されている手芸品の工場がある。ぬいぐるみや鞄、財布などを、月に計千点ほど作っている。周辺で内職する人を合わせて、11人が働き。うち5人がHIV感染者。チェンマイの日曜市に並べた商品が、日本人バイヤーの目に留まり、事業は軌道に乗っている。

 実は、この工場の起業に、日本人のHIV感染者が絡んでいた。00年から3年間、日本から性同一性障害のデザイナーがやって来て、人知れず感染者に手芸を教えたのが始まりなのだ。ただし、バイヤーや客は、感染者が作ったものとは知らない。「もし日本に差別があれば、売れなくなる」と不安がる工場長に、固有名詞や写真は省いた。日本ではデザイナー氏もカミングアウトできず、悩みを秘めているだろうから。

 タイからのメッセージ

 次の集会へ、ハンドルを握るタウィーさん。「日本の感染者へ? そうですね、先ずはHIVが自分の体の中に棲んでいるという事実を受け容れ、これまでの生活をどう変えていくか考えることです。差別と闘うのは、その次。最初から他人の目を気にしていたら、自暴自棄になってしまいますから」。暫しの沈黙の後、タウィーさんは前方を向いたまま、独り言のように話しだした。「感染者になる前、私は自分のためだけに生きていたと思います。お金を稼いで、何かを買うことばかり考えていました。でも今は他人のため、社会のために働き、一日一日が充実しています。幸せはお金やモノじゃなく、自分の内部にあると気付いたんです」。死の淵から三度生還した人の言葉は、ウソ臭くはなかった。
(文・写真/阿佐部伸一)

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