阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

ラオス、ベトナム地図にない鉄道 2022年6月

ラオスは内陸国から連結国へ

VNcvd19TL
Bunnahsak
ラオス人の旧友とビエンチャン駅から特急ランサーン号に
chinapolice
乗務員の半数は中国人。拳銃を所持した警察官も
Luaungpabhan
コロナ禍で大打撃を受けた観光地ルアンパバーンは鉄道開通に復興を賭ける
NewChinatown
国境のラオス側に出現した京投未来城。コロナ禍が原因か未だゴーストタウンだ
Sanghkom
「我が国と中国の関係は、ウクライナとロシアのそれとはまったく違う」と喝破する元外交官サンコム氏
 ラオスの首都ビエンチャンと中国を結ぶ鉄道が2021年12月3日、ラオスの建国記念日翌日に開通した。ラオスは1975年12月、王制を廃止し、社会主義のラオス人民民主共和国を樹立。以来、人民革命党の一党独裁が続いている。このラオス中国鉄道、アメリカ企業の地図には駅こそ載っているが、隣国タイではグレーで記されている鉄道路線が開通から半年経っていても見当たらない。列車の撮影ポイントを探すには、衛星写真の緑が削られた線を辿ることになる。

フランス領だった昔、この国では伐り出したチーク材を筏や船で運び出す際、メコン川が滝を成している部分に森林鉄道が敷かれた。『イルカ棲む楽園』をラオス南部へ取材に行った94年、コンクリート造の桟橋脇に錆びた蒸気機関車のボイラーが打ち捨てられているのを見た。

海に面さず港がない内陸国だが、長年1キロの鉄道もなかったラオス。08年にはタイ国鉄が国境の友好橋を渡ってタナレーン駅まで3.5キロ延伸し、今も国際列車が1日2往復している。09年にはこの列車を『メコンを渡る大蛇』と喩えてリポートした。

そして、ラオス初の長距離鉄道の建設が決まった翌年の16年には『陸の南沙諸島』というルポとビデオリポートを発表した。当時「中国中鉄」と記された赤い旗が並んでいた田んぼは、新型コロナで暫く来られなかった間に、高速鉄道の軌道や駅に一変。ビエンチャンから途中1泊し、片道15時間かけて訪ねた中国国境へは、特急列車で日帰り可能となっていた。

ラオスの人口は微増傾向にはあるが、未だ730万人ほどが日本の本州ほどの国土に分散して住み、人口密度は31人/㎢とアセアン諸国のなかで最も過疎の地。国民の8割が農業に従事し、外貨を稼げるのはコーヒー、水力発電による電力、それに観光くらいだ。建国以来インフラ建設には外国の支援に頼らなければならず、国連総会で後発開発途上国(LDC)と認定されている。製油所がなく、ガソリンを100%輸入に頼っていたところへ、今回の新型コロナの世界的まん延で観光収入などが途絶え、取材中はガソリンの入手に苦労した。前月の1.6倍、180円超/ℓに跳ね上がっただけでなく、稀に営業しているガソリンスタンドでは半日並んで10ℓずつしか給油できず、統制経済が復活したかのようだった。

それだけにラオス人たちの今回の鉄道開通に賭ける思いは大きい。中国人観光客が自国の対コロナ政策でまだ来られていなかったが、試乗した普通列車も特急もラオス人と一部のタイ人で満席だった。ラオス政府は農産物の輸出、中国とアセアン諸国間の貨物収入、それに観光客の増加を大いに期待している。だが、この鉄道建設にあたっても、今回インタビューに応えてくれた元外交官のサンコム氏が「外国の支援なしには、こんな鉄道は50年後にもなかった」と言うように、建設費6800億円あまりの6割が中国の銀行からの借り入れで、その額はラオスのGDPの三分の一に相当する。

東南アジアにおける地政学的な大変革は報ずべき対象だが、ラオスは社会主義国で、資金も技術も中国主導で建設された鉄道だけに、取材はすんなりとは行かない。鉄道職員の半数は中国人で、ラオス語はたどたどしく、問答無用で制止してくる。西側メディアは「この鉄道は中国の途上国に対する“債務の罠”」だと批判的な報道をすると警戒されていて、正面から取材申請すれば却下されるのが自明だ。現地コーディネーターによると、日本のテレビ局や番組制作会社が制作途上で頓挫したり、端から取材拒否に遭ったりしている。また、中国はラオスでも「ゼロコロナ政策」を貫いていて、中国人職員はまるでICUの看護師のような装束で、利用客の駅構内や列車内での自由な移動を制していた。先頭車両を撮ろうとプラットホームの端へ行ったり、他の等級の設備を見ようと車両を移動したりもできない。言論統制にコロナウィルスの感染対策を流用している節がある。

そこで今回は“乗り鉄”を装い、手のひらサイズの家庭用カメラで三脚の使用を極力減らして取材した。実は小生、子どもの頃は‟撮り鉄”だったので、なまじ偽装などではない。加えて、まだ1度も乗ったことがないというラオス人の旧友と一緒に乗車し、彼の記念ビデオを撮る格好をとった。

ラオス中国鉄道は、中国の「一帯一路」の一環で、ラオスを経てタイ、マレーシア、シンガポールまでを鉄道で結ぶ構想だ。現在、旅客はビエンチャン駅が最南端だが、さらに南、タイ国境に近いタナレーンで「陸上港」と称した巨大な貨物駅がすでに稼働していた。ここは車の中からスマートフォンを使って辛うじて撮影できた。

ロシアのウクライナ侵略があったことで、民主主義国はアジア太平洋地域でラオスを発端に国境紛争や侵略が起きないかと危惧している。今回のラオス取材中の6月10日、アメリカはシャーマン副長官をビエンチャンへ送り込み、4500万ドルの経済開発援助の上積みを申し出ていた。だが、サンコム氏は「ラオス解放は旧ソ連と中国の支援があったからこそで、もし中国がラオスを侵略したいならば、いつだって、明日にでもできますよ。ラオス人は誰もそんな心配はしていません」と喝破した。

ところで、ラオス中国鉄道は標準軌、一方タイやマレーシアはレールの幅が1mの狭軌。乗り入れるためには三本レールか可変ゲージの車両が必要となる。各国との政治的な駆け引きもあって、「中国の夢」はそう簡単には実現しないだろう。だが、過疎地に鉄道を敷いても採算が取れないと日本を含む民主主義国が躊躇していた間に、中国はラオスとの合意からわずか5年で、この鉄道を開通させてしまったことは紛れもない事実なのである。

(文・写真/阿佐部伸一)

トップに戻る