阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

台湾、香港、イギリス、日本教育現場はいま— ある高校の実践1998年2月

青少年によるショッキングな事件が各地で頻発し、教育改革や少年法改正、子供の人権などがかまびすしく論じられている。その一方で、毎年七万人以上の不登校児童・生徒が、十一万人以上の高校中退者が続出。肝心の教育現場は一体どう対応しているのか。なかでもいじめや暴力、不登校などの渦中にいた少年たちを全国から積極的に受け入れ、立ち直らせている北星学園余市高校=北海道余市町にその一例を見る。

「高校生活をしたい」若者を受け入れ十年

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放課後、マンツーマンになっても補講を開く教師=北海道余市町の余市高校で

余市高校が全国の高校中退者や、小中学校での不登校が元で進学できない子供たちに門戸を広げて十年。九七年度の全生徒六百十四人のうち、約三分の二がそうした生徒たちで、残り三分の一はいわゆる落ちこぼれの生徒だ。五段階評価で平均が一・五前後でも、「暴力は振るわない」、「休まない」と誓える「高校生活をしたい」人が入学を許される。男女比は三対一、十七クラスあり、三十七人の教職員が常勤する。七年前からは九州、沖縄をふくめた道外各地からの生徒が半数を占める。無事卒業させ、進学や就職の希望に応えると同時に、約七%という退学率を下げる努力をしている。

教室で一斉に予習・・わかる授業に興味

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授業が始まってもマンガを読みつづける生徒だったが…

初春の陽光が雪原に照り返す教室はポカポカと暖かい。始業のチャイムは鳴り終わったが、生徒たちといえば、机にひれ伏し眠っていたり、お喋りしたり、紙つぶてを投げ合ったり、手鏡を覗き込んだり、漫画に没頭したり、携帯電話で話している剛の者もいる。「入れよ!」と廊下にたむろする連中に声をかけ、山弘子教諭(51)は生徒をファーストネームやあだ名で呼んで出欠を取りはじめた。「よっ、来てるな」。朝が苦手な生徒か、合いの手が入る。

授業が始まっても、筆記具を忘れた生徒が友達から借りるために教室をうろうろ。九〇年に自由化された服装は大学生と変わらない。頭髪規制は残ったが、一クラスに数人ずつ茶髪がいる。ヘビメタ調のピヤスをしている男子もいる。「派手な頭して。それで勉強できなかったら承知せんぞ」と彼女は頭を撫でるが、詰め寄ったりはしない。「できるもんナ、お前」。クラスメイトから野次が飛ぶ。

ベテラン教師は焦らず、冗談とも注意ともつかぬ軽口を飛ばしながら、次第にクラス全員を自分のペースに乗せていく。始業から二十分、昼休みのように賑やかだった教室が静まり返った。それから十五分程のことだが、生徒たちは授業に集中した。この時間は国語。プリントの簡単な問に答えるかたちで、次回取り上げる随筆に目を通した。何について話しているのか分からないと、授業は退屈だ。誰もが興味を持てるように、本来一人でやってくる予習を、学校で一斉にさせているのである。

こうした進度は遅くても空回りはさせない授業の工夫のほか、「一人ひとりが力を発揮し、熱中できるものを」と、生徒会やクラブ活動、強歩遠足や弁論大会、文化祭、冬季スポーツ大会などの行事にも力を入れている。また、地域の専門家を講師に、北海ソーラン太鼓やアイヌ文化、陶芸、ギター、水泳、ゴルフなど二十種もの「総合講座」を設け、興味が持てる分野で能動的に学ぶ姿勢を養っている。

「邪魔だ、出ていけ!」は逆効果

ナイフ事件などについて深谷哲也校長(61)は「ウチの先生は一番気を付けなければと思われているでしょうが、そんな心配は一切ありません」と笑い飛ばす。そして、諭すように「生徒が荒れるのは、教師の押しつけに対するリアクションです。押さえつける力が強ければ反発の力も大きくなります。甘やかすのではなく、善悪ははっきり教え、人間として認め合うことです」と、この学校の教育理念を説く。

「邪魔だ、出て行け!」と生徒を突き放したり、放ったらかしにするのは逆効果だと彼はいう。「子供は注意されたいから問題を起こすのです。そこで自分は相手にされていないと悟らされることほど、辛いことはありません。なぜ、そんな行動に出るのか、本人の言い分をじっくり聞いてやるんです。人に話しているうちに、自覚するんですよ」。それは暴力を振るう子供にも同じだという。大人が手を出すと、逆上するばかり。まず落ち着かせて、自分が何をやったのか、暴れた理由をじっくり聞く。

「自ら悩んで伸びていく思春期に、彼らを大人が望む枠にはめ込もうとすれば、子供との軋轢を不必要に高めるだけです。ここでは『お前の力で、お前のできるところで生きていけば良いんだよ』という教育をしています」。深谷校長をふくめ、三十三年前の創学時に集まった八人の若い教師たちが抱いた「生徒の心をつかもう」という理想は今日も色褪せていない。

本気で叱るオジサン・・地域との連携

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一年の半分は雪。余市の街は都会っ子に厳しくも、温かい

生徒約四百人は町内二十数か所に下宿している。都会の核家族で甘やかされてきた子供たちにとって、本気で叱る素朴な地元の人たちは怖い存在だ。二十四人の生徒を預かる『下宿のしろ』の管理人、能代信昭さん(53)はこの十六年間、玄関脇の一室に毎晩泊り込んでいる。

彼は入寮希望者に必ずこう話すという。「みんなそれぞれに挫折感を味わって来たんだ。ここでは友達も、先生も、お前の過去を知らない。過去は忘れ、今をスタートと思ってやり直そうな」。以前はデリケートな子供の心が分からず、きつく叱りすぎて、夜を徹して札幌へ歩いて帰った寮生も出たそうだ。が、いまでは「精神的にまいっているのか、サボっているのかは分かります」と叱り加減も心得たもの。

子供を預けて初めて教育について真剣に話し合った夫婦や、努めて学校行事にも参加する父母もいる一方、三年間一度も顔を出さない親もいるという。子供たちに「オジサン」と慕われる彼は「子供に親や教師が投げているような感じを与えるのが一番良くありません。大人が一生懸命なのが子供に伝われば、どんな子でも立ち直ります」と親たちに助言する。

ナイフ事件「先生が見て見ぬふりしてたから」

放課後の体育館でバスケットボールをしていた哲平君(18、二年)。「前の学校の先生は威張ってたけど、ここの先生は敬語を使わなくても平気だし、友達みたいに話せる」。勉強やクラブに夜遅くまで付き合い、時には自宅で手料理をもてなしてくれるところに、彼は教師の熱心さを感じている。「ナイフ事件を起こすようなヤツでも、ここへ来たらなおると思うよ。先生が見て見ぬふりしてたから切れたんだろう」と哲平君は話す。

深谷校長は、問題を抱える子供たちを受け入れたのは小子化・生徒減のなかで学校の存続を賭けてのこと、また、町内に下宿させたのも学校に寮建設資金がなかったからと、経営的な理由からだったと率直に振り返る。中央教育審議会は今年二月、「順位にとらわれることをやめる」、「地域社会の力を生かそう」などという中間報告を出した。余市高校は結果的にであろうが、十年前からそれらを実践してきたのである。

「本当にやりたいことを見つけて」 田村さん=明治学院大学社会学部

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進学した大学前で田村さん

教室の笑い声が自分を嘲っているように聞こえ、おなかが痛くなる中学生だったと田村優紀さん(22)。苦手な理数が足を引っ張り成績も芳しくなったという。近くの低レベルの高校より「希望が持てそうな」北星余市高へ進んだが、人見知りが激しかった彼女は寮では先輩の視線に怯え、活発な中退生がいるクラスには溶け込めず、夜な夜な泣いては横浜の自宅へ電話し、毎月のように帰っていた。

そんな彼女を「夏休みの終わりが待ち遠しい」と思う積極的な生徒に変えたのは二年時の文化祭だった。友達と力を合わせてメニューを研究し、食材を買い出し、本格スパゲティーの模擬店作りに熱中した。そして時を得た担任の言葉があった。「ここにも、世の中にもいろんな人がいる。いつまでも自分と価値観が違うからと避けていては…」。悲劇のヒロインよろしく、周りを見ようとしなかった自分に気づいたという。中学では忘れていた学校の先生になる夢を実現しようと決意したのは、そのころ。塞ぎ込んでいた一年目、多忙を押して何度も寮へ様子を見に来てくれた担任の姿が心に焼きついている。

最近の少年犯罪には「大人たちの価値観を押しつけられる子供がかわいそう。自分が本当にやりたいことを見つけて、それを達成すること。お金持ちになれなくても、それが幸せな人生じゃないのかな」と話す。この春卒業する彼女は、養護教諭を目指してもう一年聴講生として学ぶ。自ら“幸せな人生”を切り開くために。

「改革すべき点に再検証を」— 東京大学教育学部藤田英典教授

「子供たちに最も必要なものを追究することで、余市高校は成功しています」と、藤田英典教授(53)は感想を話す。彼の分析では、高校進学率が九〇%を超え、高校が準義務教育化した七十年代半ばを境に、暴力やいじめ、不登校、中退など問題が起こってきた。社会の高度工業化に伴い、かつて十代後半には働いていた若者は、その必要がなくなりモラトリアムな時間を与えられている実態を無視して教育改革は語れないという。

六三三制は時代にそぐわないので中高一貫とか、“読み書きソロバン”に絞って休日や「ゆとりの時間」を増やすべきという意見が経済界を主にある。だが、彼は「半世紀かけて国民が平等に一定水準の教育を受けられるようになったこの世界に誇れる現行制度を本当に変える必要があるのか」と疑問を投げかける。

確かに教育現場には問題が山積するが、それは制度ではなくて、中身の問題だという。アメリカの校内暴力は七〇年代に、イギリスの不登校は八〇年代に、それぞれ日本の管理教育とは対局的な自由な学校でも深刻化した。いま日本で落ちこぼれが多いのは、授業が面白くないからでも、教えることが多すぎるからでもない。単に時間をかけて教えないからである。個性や創造性を伸ばすことが「ゆとり」ではなく、きっかけとなる体験をさせることが大切だという。こうした考えから彼は「学校スリム化」を危惧する。

青少年の問題は学校だけでなく、家庭や地域、マスコミ、消費文化などの影響が大きいが、彼らのライフステージが学校であることから、学校をスケープゴートにしているきらいがある。また、他に比べて教育制度は政府がコントロールしやすいので、批判の矛先が向いているとも、彼は見ている。

「教育は福祉と並ぶ労働集約型産業で、カネをかけず、人手を増やさず、苦労せずでは良くなりません。納税者の手前とか、人気取りではなく、改革すべき点を再検証すべきです」と、藤田教授は訴えている。

(文・写真/阿佐部伸一)

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