阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

社会的動物にとっての震災とコロナ

CIVUD19kumano

阪神淡路大震災から26年、コロナ渦中でこの日を迎えることになりました。兵庫県芦屋市で生まれ育った小生ですが、当時は関東に住み、フリーランスで雑誌の仕事をしていました。朝のTVニュースを見て千葉県市川市の自宅を飛び出し、飛行機とタクシー、渡船、自転車を乗り継いで、午後には被災地で取材を始めていました(上の写真)。大鳴門橋が渡れると知り、羽田から徳島へ飛びました。タクシーで淡路島の震源地に立ち寄り、対岸のいく筋も立ち昇る煙に故郷を案じながら播但汽船で明石市へ上陸。明石本町商店街で自転車を買って、東へ東へと凄まじい被害を取材したものでした。

 ほぼ無傷だった徳島で買い込んだパンなどの非常食は、被災者に見えない所で立ち食い。しかし、単三電池で給電できる携帯から原稿を送っていると「ちょっと貸して」という人たちに取り囲まれました。また、歩道に並べられた遺体を取材していて、鼻の骨が折れるほど殴られたことは忘れられません。震災の数年前から外国で内戦を取材していましたが、遺族や避難民に殴られたことはなかったからです。彼らも極限状態にいましたが、助けや停戦を期待して、その惨状を伝えてくれと、逆にジャーナリストを受け容れてくれていました。

 今年の1・17は2回目の『新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言』発出2日目となりました。前16日、やはりコロナ関連の取材で神戸・三宮を往復しましたが、電車は座れず街も賑わっていました。不気味なほどにゴーストタウン化した去年4月の1回目とは大違い。大震災からの復興は何年もがんばれましたが、コロナ禍には既に疲れが出てきているようです。

 その原因はウィルス感染拡大の防止策が、震災や集中豪雨などの防災・復興では求められない「三密の回避」や「ステイホーム」だからではないでしょうか。乗り越えていこうとしている危機が感染拡大だけに、他人とは手を携えられず、スクラムも少数の同居人としか組めません。いくらリモート会議が普及しても、社会的動物であるヒトが三密を避けて引きこもる、それも1年以上に亘るとなれば無理があるように思えてなりません。

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