カンボジア再考、援助の方法2015年4月
内戦と難民、国内避難民、国連PKO、総選挙による新政府誕生、クーデター、民主主義と自由経済、社会問題と28年に亘って、この国を取材してきました。内戦が終結して24年が経ち、その間には武力闘争も一時ありましたが、それも18年前のこと。以来、平和になり、外国からの援助や投資を基に順調に復興・発展するだろうと見守っていました。
確かに道路や電力、通信などのインフラは飛躍的に良くなり、都市と観光地のホテルやレストランも国際会議が開ける程になっています。しかし、法整備と遵法精神の定着をはじめ、公正な自由競争、人権擁護、福祉教育制度の整備と実践、都市と地方の格差、芸術やスポーツの発展などは、どちらを向いてもまだまだと言った状況です。カンボジア人自身が自分の国や社会を良くするために、自らイニシャティブを取って一生懸命働く姿は、残念ながらあまり見られないままです。政府も民間も肝心な部分で外国からの資金や人材を未だに必要とし、それなしには何事も始まらない観が否めません。いろいろな国や国際機関がカンボジアを長年援助してきましたが、カンボジアにとって最大の援助国は日本でした。
この国に限らず熱帯諸国には衣食住に不自由しない豊かな自然があり、貯えがなければ越せない冬がある温帯諸国では殆ど見られない楽観主義があります。それに加えてカンボジアの場合、ポルポト時代にインテリや専門家が虐殺されたり、外国へ亡命したりし、長引いた混乱で拡大してしまった隣国との経済格差が刹那的な価値観を蔓延させていて、人々は勤勉勤労精神を持とうという気など起こらないのでしょうか。それにしても、四半世紀に及んで官民さまざまな形で復興・開発援助を実施してきて、この有り様というのは無力感すら覚えそうです。医療や教育、福祉、そして人材開発の分野の国際支援にも力を入れてきたからこそ、問題解決への鍵は援助対象の分野や金額の多少とは違った次元にあるように思えます。
そんな思いを胸に、今回は未だに続いている子どもたちの深刻な問題に焦点を合わせ、改めて援助のあり方を考えてみようと思いました。