阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

ビルマ(ミャンマー)夜明け前のビルマ1990年5月

貧困に耐え、民主国家の誕生を祈る国民

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願いを託したスズメ「サーカリー」を放つ娘さん=ラングーン市内のスーレ・パゴダ前で

「あなたみたいに大空を自由に飛び回れますように」。娘は小鳥に囁(ささや)いた。九十年五月末、 総選挙があったビルマで、願いを託して放すとその願いが叶うというスズメがよく売れている。
開票結果は民主派野党の国民民主連盟(NLD)の地滑り的勝利だった。だが、軍政府は政治犯の開放や政権移譲の時期を明確にしないまま、 五人以上の集会や夜間外出、現政府批判などを厳しく禁止し、事実上の戒厳令を敷いていた。 ラングーンを中心に長年の軍国主義がもたらした貧困に耐えながら、民主国家の夜明けを待つ市民にレンズを向けた。

街は軍当局の取り締まりで静まり返り

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独自集計を知るためラングーン市内の国民民主連盟(NLD)本部前に詰めかけた市民たち

「NLDの勝利をこの世で見れるなんて思ってませんでした」。赤茶色の袈裟(けさ)をまとった僧のウナンリアさん(40) =仮名=は黒板の開票速報に目をやる。辻説法で政府批判をやってきたのに、逮捕もされず今こうして喜べることをお釈迦様に感謝しているという。 毎日午後四時ともなるとNLD本部は勤めや買い物帰りの人たちでごった返す。発表が遅い中央選管にしびれを切らし、 同連盟の独自集計を見に来ているのだ。

だが、そんなお祭り気分は同本部だけ。ラングーンの街は軍当局の取り締りに静まり返っていた。高級住宅街にあるレンタルビデオ店で、テン・ミンさん(24)=仮名、ラングーン大植物学修士課程=に会った。 大学は八八年八月から閉鎖されたまま。彼は人通りが絶えるのを見計らって素早く雨戸を閉めた。

ミンさんはタイ国境のジャングルに立てこもって七か月が過ぎたころ、軍事訓練中に脇腹に重症を負った。 学生キャンプの病院では手に負えず、国境を超えタイの総合病院に入院したのだが、そこで政府側のスパイではと疑われてしまった。 病院を逃げ出し「拷問される」と覚悟して昨年五月投降した。

「『どうしてキャンプに行ったか』ときくから、『目の前で友達が兵隊に撃ち殺されたから』と開き直りました。すると、 身元を確認しただけですぐ解放してくれたんです。尾行の気配を感じた時、軍当局の罠(わな)が見えました。 僕を泳がせて地下活動する学生たちを一網打尽にするつもりだったんです。尾行は2か月くらい続きましたよ。 今でも『どこで何をしているか』なんて調べに来ますよ」

人気ビデオは勧善懲悪の「里見八犬伝」

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八八年の民主化デモで軍の銃弾と市民の血を浴びた菩提樹=ラングーンのアメリカ大使館前で

建国の父、アウン・サンの昨年の命日に彼は間一髪難を逃れたが、約百人が逮捕された。 現在約二千人の政治犯が投獄されているという。

別れぎわ、一番人気のビデオをきいて驚いた。それは日本の「里見八犬伝」だった。腐敗した江戸幕府の下、 勧善懲悪を説き発禁となった滝沢馬琴の代表作である。主演の千葉真一はこの国では「SONY千葉」とよばれ、 大変な人気だとミンさんは教えてくれた。

首都・ヤンゴンから車で三十分も走ると、道の両側は見渡すかぎりの水田だ。「米を総て政府に売っても、 一か月分の生活費にしかなりません」とマウン・チョーさん(62)=仮名=。 「でも、私はこれしか出来ないから」とスキをつけた牛の手綱を引いた。彼の田は雨期には湖になってしまうため年一回しか収穫できない。 収量を上げるにも配給の肥料では足りず、かといってヤミ市場の肥料は公定価格の三倍もして手が出ないという。

一方、国営工場に勤める工員チー・ルインさん(33)=仮名=も「親子三人食べていくのが精一杯ですよ」と嘆く。 月給は七百五十チャット(実勢レートで一チャットは約三円)。毎月千チャットは必要で、不足分は土木作業のアルバイトで埋めている。 公務員なので一人分の米、油、砂糖、せっけんなどは公定価格で買えるが、皮肉にも官製は質が劣るという。

パイナップルを頭に載せて売り歩くキン・ミャちゃん(13)は、日に三十チャットを稼ぐ。四人姉妹の一番上。 「全部おかあさんにあげてるわ」といじらしい。この国の小学校就学率は五十六・五%、同卒業率はわずか二十七%である(UNICEF調べ)。

非業の死を遂げた人々の霊のために

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「ナッ神」に踊りを捧げる芸人

苦しい家計を助けるため働く子供の姿が目立つラングーン市には、 日本の無償援助で建設された立派なプラネタリュームがある。だが、土、日曜しか開いておらず、この日の入館者はわずか十八人であった。

八十七年の開館当時からの技師マウン・ウィンさん(31)=仮名=は指摘する。「周りが軍の施設ばかりで、みんな恐がってるんですよ。 星占いが好きなネ・ウィンさんの一声でここになったと、もっぱらのうわさです。それにバスの便が悪くてね…」

欧米の民主政府が援助を凍結しているソウ・マウン軍事政権にまっさきに援助を再開した“援助大国・日本”だが、 本当にビルマ市民のためになっていたかは疑問である。

ニッパヤシ葺きの小屋が軒を連ねるラングーンの下町でただならぬ人だかりを見つけた。果物や花を供えた祭壇の前で、 民族楽器の軽快なリズムに合わせて踊りが捧げられていた。民衆の守神「ナッ神」祭りだ。ナッ神とは「中世ビルマの仏教国家建設の折、 国家権力の犠牲になり非業の死を遂げた人々の霊が祀られている」とある。

流血の民主化デモから一年九カ月。悲願の総選挙で民主派が大勝した今、人々は改めて彼らの霊を慰め、 民主国家の誕生を祈っているに違いない。

(文・写真/阿佐部伸一)

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