阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

カンボジア「我々は攻撃する」ポル・ポト政治論文1992年12月

ポト派の基本方針(訳)

polpotronb
ポル・ポト直筆とされる政治論文。その第一頁目

共同通信社が昨秋、その消息を伝えたポル・ポト(サルト・サル)の政治論文を、一月カンボジアで入手した。 昨年二月にA4版三十八頁に渡って肉筆で書かれ、プノンペン政府は筆跡鑑定と独特の用語から「本物」としている。 ポト派の不透明な政策と頑強な抵抗に和平計画そのものが座礁する今、同派のパリ協定後の政策を知ることも問題解決の糸口と信ずる。 なお、在日カンボジア人のソム・カンナリット氏が直訳した原文のニアンスを大切に、日本語らしい語順に置換した上で、 頁数の関係で一部中略している

資料 未整理 重要書類 任務の目的と趣旨、我々の基本方針の確認

一九九二年二月六日 はじめに カンボジア和平協定合意から三か月以上がたった。我々にはこの合意内容に対する方針が(時期を追って)二通りあったことを、先ず確認したい。 第一期は協定に署名した九一年十月二十三日から十二月十三日までで、十月二十三日に各部代表を招集して開いた会議で、(和平協定の)合意事項と諸々の問題点を話し合い、(それに対する)我々の意見を確認した上で、協定に従った。しかし「古い敵(ベトナム)」も「新しい敵(国連)」も、合意事項を無視している。だが、我々は計画に従って協定に違反しないよう徹底した。 第二期は十二月十三日から現在に到るまでで、この第二回会議で決定された方針に従って行動した。このように一か月半ごとに、我々は各部が議決通り行動したかを確認できるように会議を催す。そして、我々の強み、弱みを考慮して、政策を決定してゆく。現場の司令官たちは、中堅幹部よりも、多くの問題点を知っていると思われる。よって、彼らが情報収集の任務を果たすことを望む。

〔I〕 確認された目標 基本見解 我々のスタンスに基づいて

我々のスタンスに基づいて

前回と同様、我々は今回の会議で〔一〕全ての状況を把握する上での「グローバル・シチュエーション(世界情勢)」、〔二〕総合政策をたてる上での「グローバル・シチュエーション」を検証する必要がある。複雑を極める世界には、我々にとって敵も味方もいる。〔二〕については、以前のようにベトナムとだけ対峙して戦ってきたのとは違い、新しい敵としてベトナムの他に、西側大国やUNAMIC(国連カンボジア先見隊)もいる。よって我々は新しい敵との戦いの意義、戦いの方法を検討する必要がある。

「グローバル・シチュエーション(世界情勢)」が提示する各問題と新状況は、武力や政治、外交においての戦闘能力のアップを要求する。こうした状況下で我々は基本目標を確認する。

〔一〕戦いの中での複雑な問題に立ち向かう勇気を持つこと。

〔二〕戦いの中で有利な立場を保持すること。

和平協定の下では、勝ち負けではなく、誰が勇気を持って戦っているかということが大切である。

(協定に)もし抜け穴があちこちにあれば、我々は敗北する。協定文書の通り、ベトナムとも、UNAMICとも、UNTACとも対等であるなら、我々は協定を遵守する故、勝利する。

なぜ、我々は〔二〕を今さら確認する必要があるのか?それは、ベトナムが以前の政策に戻ってきたことを認知したからである。やつらは戦争を仕掛けながら、会議を催す。やつらは話し合いのために、攻撃してくる。やつらは手を出すために、話しかけてくる。やつらの戦術が、究極の目的と合致するまで。

一九六八年のラオスに関するジュネーブ協定、一九七三年のベトナムからの米軍撤退に関するパリ協定。ベトナムはこれらの協定に乗じて、自分たちの兵力を強化し、一九七五年までにハノイを攻撃し占領した。こうした歴史から、やつらが軍事部門と民事部門と分けたところで、それは言葉の上だけのことは明白である。

いつも世界(各国)が理解するのは、やつらの口先だけである。今日に到っても、世界がやつらを許さないのなら、例外なく許さないことだ。禁止事項は、絶対に守らせるべきだ。カンボジア和平協定においても、そのことは厳守するべきだ。例えば、カンボジアからの外国軍の完全撤兵の検証などを、UNTACが無視して行わないことは、ベトナムのそういった戦術に乗せられていることである。我々は既にベトナム戦争中の「キッシンジャー波紋(仏語でMOIRE)」からも、教訓を得ている。

戦場でも、外交の場でもやつらは常に攻撃してくる。会議を長引かされて、疲れて合意してしまうと、最終的にやつらを勝たせてしまうことになる。この点に留意して、我々は対応策を再検討すべきである。やつらは誰に批判されようと気にする奴ではない。批判だけでは、やつらに対して無力なら、手段は選ばなくても良い。とにかく、やつらの影響力を破壊しなけらばならない。

この戦術を、我々は再度初めから習得しなくてはならない。我々とベトナムとの対立は、長年のものだ。八七~八年までは、やつらから相当の攻撃を被った。我々だけでなくインドシナ諸国もだ。しかし、我々は軍事面でも、外交面でも、我慢し、耐え抜いてきた。

軍幹部の内部工作も、楽ではなかった。国境で任務についている兵隊も、大変だった。土地を奪い返すのも、骨が折れた。運輸関係者も、命懸けだった。

我々は武力を行使しても、特に外交では耐え忍ぶことを選んだ。我々はどんな窮地に立とうと我慢する。そんな我々を、あなたたちがどう評価しようが、一向に構わない。我々は勝つために、敢えてこの道を選んだのだ。

汚いベトナムは、こうした状況を利用するだけで、自らは決して行動を起こさない。行動するのは別の組織だ。西側諸国とか、UNAMICとか、UNTACであり、ベトナムの手先の「アナ」や「ウィドン」(プノンペン政府要人の名前?)である。彼らは我々に戦争を仕掛けてきて疲れさせ、特に我々の行政部門を弱体化させている。そして、統率を失う軍事部門が、どの程度弱まったかと、虎視眈々と狙っている。

我々は、揺るぎない忍耐力をもって、この堅実なスタンスをとっていれば、敵と味方をはっきり見分けられる。本当の敵は、しばしば隠れているものである。

例えば、やつらは我々が協定に違反したと批判するため、接近してくる。だが、我々は一体なにに違反しただろう?いや、していない。それはやつらの戦術の一種だ。それに応じては、やつらの思うツボ、我々の負けである。

やつらは第一ラウンドのリングに上がった直後の我々を、一発のパンチでKOしたいのだ。そこで、我々は反撃に出なければならない。その時、我々が十分強ければ、一発では倒れない。そのためには───・

第一に、我々は自分たちの守備圏内にいること、

第二に、敵か味方かをハッキリと見分けること、

第三に、防御体制を固めること、 ───・である。

この三か条に従って、やつらの誘いに乗らず、我々内部の問題解決に専念するのだ。要するに、大切なことは我慢することである。我々が協定を守っているかぎり、やつらは我々を負かすことはできない。だから、我慢して協定を守り通すのだ。そうすることで、我々は有利な立場に立っていられる。

我々と、UNAMICと、レディクタ(人名)と、キンシンジャーは似ても似つかぬ存在だ。レディクタもアメリカも狡猾ではあるが、ベトナムはアメリカとUNAMIC、そして我々を負かしている。

しかしながら、我々は完全に有利な立場に立ってる。なぜなら───・

第一に、我々は戦争の被害者だから、

第二に、合意された協定条項が、我々に有利なものだから、───・である。

武器を持っている我々はいつでもやつらと戦える。だれも我々から勝利の可能性を奪うことは出来ないのだ。これは外交の際の、唯一の統一見解である。

改めて確認すると、パリ協定の合意に漕ぎつけられたのは、我々の作戦から離れたところでも、忍耐の十三年間の賜物である。もう今となっては、(世界は)我々を放置しておけない。パリ協定のその条項をもって、我々を負かすことは不可能だ。だが、我々は武力をもって、やつらを負かすことが出来るのだ。

私は、地方に赴任している経験の浅い技術者には、まだこの話をしていない。詰まるところ、今の戦いは、生きるか死ぬかの戦いだ。合意された文書から外れることは、死を意味する。しかし、文書に上手く沿って行けば、勝利が待っている。勝利とは、他でもなく国を解放することである。しかしながら、皆が知っているように、国境やベトナム人などの問題が未解決のまま山積している。だが、そうした大問題は、何はともあれ先ず我々の国を解放した後で、取り組むべきことである。

〔II〕 総合情勢について

この項では、現在に至った周辺の情勢を総合的に振り返る。情勢は大きく変化しているが、その変化が良「ものなのか悪いものなのか、我々にとっての利害はどうなのか、注意を払う必要がある。

〔一〕パリ調印までの、各派との三角対立のなかでの戦いは、戦場でも会議室でも、非常に複雑だった。主導権を取るため、国内でも、外国でも、お互い熾烈な戦いを繰り広げたことは、皆の知るところである。

因みに、外交では以前二派で合意を成立させるという意見もあった。ジャカルタでも東京でも、二派案が出された。敵とは関係ないが、日本も我々の後方に回って説得するといった圧力をかけてきた。しかし、我々は後方にいる人物を介して日本に、忍耐こそ我々の姿勢であることを説明し、二派案を受け入れることは出来ないことを理解してもらった。このやり方は、正に我々の忍耐戦術であり、その戦術を忠実に実践したのである。もし、あの時承諾していたなら、我々はその戦術を放棄することであった。

東京会議(九〇年六月)後、再びジャカルタに戻っても大勢が支持した、シハヌーク殿下を代表とし、傀儡を副代表とする二派案では、我々は同意出来ないことを再度表明した。負けないために我々は拒否した。力を我々に結集させ、その力を保持するために。

そのジャカルタ会談の直後(九〇年九月)、またバンコクでも問題を二派で整理してしまおうとした。これは大問題である。その時のタイ政府のやり方は最悪であった。宿舎のオリエンタル・ホテルまで押しかけてきて、二派案をのむよう圧力をかけてきた。

受け入れれば最後、カンボジアが没落してしまうそんな案は、絶対に受け入れられなかった。味方の国として我々はお願いする。世界各国は我々を嫌悪しているが、我々こそが自分たちの戦術を完遂させ、狡猾な人間にも対抗できる派であるのだ。現に、複雑な問題が多々あったにもかかわらず、話し合いでパリ調印に達っしているではないか。

〔二〕しかし、その合意から既に三か月が経った。やつらはどうして合意を守らないのか?そこには、ある策略があって、国連安全保障理事会議でUNAMICのカンボジア撤退と、UNTACのカンボジア入りの時期を決めているからである。その時期は技術的な理由ではなく、政治的な駆け引きで決められている。

昨今の世界政治の記録を見れば明らかだ。ユーゴスラビアでの訴訟手続きや、イラクからのクウェート解放が、なぜあのように早く決行されたか。カンボジアでは、なぜ時間がかかるのか。それは一重に、アメリカがカンボジアでは引き延ばしを試みているからである。

ユーゴ問題では、国連安保理会とECが、連日のように会議を開いていたではないか。カンボジアが比較的静かだったので、ブッシュ米大統領がそう判断したのであろう。
一九九一年九月ニューヨークでのシハヌーク会談の際、アメリカはクメールージュとは絶対相いれない、クメールルージュを参加させて四派にして欲しくないと反対した。そして、総選挙ではクメールルージュを当選させないよう、当選しても何らかの方法で、国会には議席を持てなくするという陰謀を立てた。アメリカの書いたシナリオ通りになるだろう。UNAMICとUNTACも同じく、時期を見てアメリカの陰謀を実行するだろう。

この乾期(九十二年十一月以降のこと?)、ベトナムがクメールルージュを攻撃することを看過しておく一方で、UNAMICのやつらも同じ攻撃計画を立てている。会議で我々を見つけると、インドネシアはカリム氏との暗黙のうちに、チドン副大臣をすぐ後ろの席に座らせ根回しに躍起になる。

また別の方法で、我々を叩こうとしている。国連からの援助を誰が受け取っているか、という問題だ。チャン氏の資料に拠ると、国連からの何百台もの車を、マイサディ氏に受け取りに行けと指示している。政治的に考えて、これは国連からSNCへの援助なのだから、SNCが管理すべきことである。にもかかわらず、やつらはマイサディ氏に一任している。その前にも国連からは十万ドル、三十万ドル、百万ドル、二千万ドルと、そしてヨーロッパからの資金援助もあった。だが、これらの全ては、石油に、米に変えられ、ベトナム(プノンペン政府)の力となり、我々を攻撃するベトナムの軍資金となっている。

UNTACをカンボジアに来させないもう一つの理由は、(UNTAC)がベトナムに我々に対する乾期攻勢をもう一度かけさせるからである。その目的は、土地と村を奪い返すことだ。やつらのスローガンは「クメールルージュと他の二派(シハヌーク、ソン・サン両派)を、カンボジア領内から閉め出し、タイ国境へ」であり、クメールルージュを攻撃する掛け声にほかならない。

この辺で合意内容に戻るが、やつら(プノンペン政府)も合意は絶対のもとと考えている。ただ、やつらの本音は、四派案ではなく、二派(シハヌーク、ソン・サン両派)とだけで組みたく思っているはずだ。ベトナムは撤退したくないのだが、合意された項目に「撤退すべきだ」とあることを、非常に悔しく感じているに違いない。合意事項に従えば、やつらも四派案を受け入れなければならない。四派とも総選挙に立候補すれば、クメールルージュに勝てないから、和平計画自体を妨害するため、外交ルートを通じたり、国内の戦場で、我が儘にも攻撃してくるのである。

こうした行動を見極め、我々は次の様に決断した。我々は合意に従っているが、やつらは全く従っていない。我々は合意から外れたことは一切しない。シハヌーク殿下との会議で、何も発言できなかったり、最小限しか意見できなくても、そのことで合意内容が変わることはない。であるから、会議でのことは後回しにしておいてもよい。例えシハヌーク殿下が怒ろうと、合意点の改変をしようと、我々は合意事項を実践する側であるから、それは大きな問題ではない。やつらは行動を起こすことで、自らその合意を破っていることを我々はハッキリこの目で確認したではないか。我々にとって会議での相手は、三者ではなく一者だけ、つまりUNAMICしか存在しない。腹黒いやつらは、勝手に策略を立てているが、合意に何ら外れたことをしていない我々は、断じてそんな連中の相手になる必要はないと決断した。

兵員解体の条項は、保留にしておく。この会議は味方と味方の話し合いではなく、我々と我々の敵のそれであることは、既に明らかなことだ。会議から抜けることは、我々の敗北を意味する。まず大切なのは会議から抜けないことである。逆に、我々を会議から除け者にする動きがあったとしても、そうはさせないだけの和平協定という“武器”が我々にはあるのだ。

我々がそうした保身的立場を取れば、アメリカは協定自体を潰しにかかる。その第一段階として、アメリカはベトナム兵(プノンペン政府軍)を集結させて民主カンプチアに攻撃をかけ、自分たちはベトナムの傀儡政権(プノンペン政府)を支援することでカンボジア内で生き延びるのである。

ある指導者はこう書いている。ベトナムの傀儡(プノンペン政府)は解散するべきである。なのに、なぜ解散しないのか。それは、西側がベトナムに援助し、そのベトナムが自分の手先を支え続けているからである。だから、やつら(プノンペン政府)はアメリカや西側先進国と友好的な関係を持とうとする。これは、大国が背後から指図して我々と他の二派をばらばらにして、協定に従わないからと、政治的、外交的な攻撃をかけてくる一つの大きな力となる。

一方、戦場では他の二派は攻撃せず、我々だけを攻撃してくる。これは、金を弾丸もなく、基本的に攻撃するつもりのない他の二派にとっては、状況がましになったといえる。
この二派は、金も弾薬もないことから、もう攻撃することはないであろう。三派のうち二派は中立となったが、この中立の真意は混乱させることにある。やつら(プノンペン)との三角関係を作っての中立であるから、やつらは人権擁護の問題で中国を批判している。
この時代、中国はベトナムを必要としている。であるから、中国はベトナムに対して、強く意見を言えなくなっている。ベトナムからは中国の口を閉じさせることは出来ないのだが、ベトナムも中国が必要だから、中越の関係は親密になる。

そのお陰で、三派の力は衰え、関係は冷える。三派の中の二派の関係すら冷える。そして三派とも互いの関係が冷える。フォー氏は我々との話の中で、彼(?)は良い人物だが、人情がないと評している。

UNAMIC内でも同じで、やつらの当初の策略通り我々の批判ばかりで、西側のことばかり話している。そして、ベトナムと関連することは、決して話題に挙げない。
私の観察では、会議の一員で敵ではない人物に拠ると、会議の重要メンバーが、話題がそれることを極度に恐れていて、ベトナムに関することが少しでもでると、すぐに止めにはいる。これこそ、やつら(UNAMIC)の本音であり、紛れもない証拠である。やつら(UNAMIC)がベトナムとその傀儡と一緒になって、何か企んでいるということの。そして、ベトナムの傀儡(プノンペン)は、その陰謀を実行するだけの存在にすぎない。

フン・センは内部口論などには気にしていない。あいつの心配事は、他の代表も発言もあって、なかなか言い尽くせない会議の席で、ベトナムの指示通りに発言できるかどうか、ということだ。例えば、我々が宮殿内にいたのに、どうしてシハヌーク殿下と合意した、とベトナムは詰め寄っている。ジャカルタ会談での、我々が公邸にいたのに、どうして議決したのか、とベトナムは問い詰めている。つまり、ベトナムの傀儡は、ベトナムの意思の実行を怠ったからである。

どんな場でも、ベトナムは関連国への根回しをする。以前は、チア・シムとフン・センが、纏まらない懸案をシハヌーク殿下と事前交渉しに行っていた。そして、シハヌーク殿下がやつらの話には耳を傾けなくなった今は、別の五人の高官をロビーイストとして、入れかわり立ちかわり派遣している。

プノンペンの治安は、やつらが主に握っている。いつ行動に出るかは、やつらの意思一つで決められる。ベトナムとその関連国は準備をしている。こうした状況下で、我々はどんな仕打ちに遇っているか。ある人は、何となく行き詰まりという見解を持っている。UNAMIC問題も、治安問題も、我々の居場所の問題も、UNTAC問題も、そして協定遵守問題も、行き詰まりである。

こうした閉塞状態で、我々の半分は待っているが、もう半分は戦闘を始めている。国民はじっと待っている。もし各派が全ての点で合意していたなら、そんな楽なことはない。だが、合意後にも予想していた通り、ベトナムは我々を攻撃してきている。やつらの協定破りは、どんな言い訳も通用しない。

他の二派も同様に思っている。ホー氏とアサ氏は、合意後すべてが好転すると、最初から勘違いしていた。我々が説明して、やっと実情がわかってきたようだ。しかし、まだ彼らは合意に従う努力を続け、和平に協力している。

中国 :ベトナムを必要としているため、アメリカを批判している。

ベトナム:中国と協力関係にあるために、アメリカに不屈の態度で臨んでいる。

その一方で、ベトナムに辛く当たれない中国は、我々に対して以前より冷たくなってきた。今は、中国とベトナムは自分たちのポテンシャリティーだけを大切に考えているから、プノンペンへやって来た時にはチア・シムと会談した。はっきり言えば、中越両者が手を取り合って策略している。中国とイスラエルが、アラブ諸国に悪影響を及ぼす恐れがあっても、当時の状況では国交を結ばざるを得なかったのと、何か似ている。

アメリカを初めとする西側諸国が、カンボジア問題で、中国に圧力をかけ続けることとは別に、中国はどうしてもベトナムを必要としている。そして、中国はそういった外圧を、じっと待っているようで、内心は慌てているはずである。2月6日朝のマエン氏からの報告によると、パリのカンボジア人も同じような状況を待っている。我々が被害を受ける可能性のある、こうしたひがみと怒りを包含した軋轢は、予め自認しておく必要がある。シアヌーク殿下を怒らせることになったら、敵は分離計画に従って攻撃をかけてくる。つまり、殿下の怒りをかった奴を追い出し、追い出しに応じなかった者を少数派にしてしまうという作戦だ。それ故に、軍事総合会議では我々は少数派になったのである。

我々がシハヌーク殿下に状況を説明しようとすると、やつらは間に割り込んできて、我々の批判をぶち上げる。我々はやつらの本音の真意をすでに見抜いている。やつらは我々の弱点と強い点を知ったので、軍隊との関係は大切にしたがっているが、モック・マエン氏との関係継続はあまり考えていない。

以上記した内容を確認するべきである。もし、事実と確認できたなら、次のステップで我々はどうすべきなのか。そして、こうした状況下で、我々の力を結集して、協定に従うことは可能なのか。これは我々自身の問題である。私の認識するところでは、過去十三年間と変わらず、今でも、我々は敵より有利な立場に立っている。協定上でも、三派のなかでも、(中国との)三角関係においても、ASEANでも有利な立場にいる。なかでも、合意したルールは我々の鋭い武器となる。しかしながら、現状は、以上記してきたように、問題が起きてきている。

合意内容が少しずつ変えられようとする状況では、頑に協定に従おうとしている我々の努力は無為なものになってしまう。やつらの説得に乗っている中国やタイは、冷たくなってきた。中国やタイの兵隊は、カンボジアで地雷撤去や道路修復の作業をして、収入を得ているが、三派の方は、総選挙への悪影響を鑑み、良いことだとは思っていない。

この作業を続行させたなら、国家や国民、我々は危険な状態に追い込まれる。というのは、三派の政策実現を待っている国民までもがそういった作業を期待するので、我々は自分たちの長所を活かしての侵攻が出来なくなるからである。皆、利己的に自分のことだけを考えているから、(中国との)三角関係もどんどん冷えてきた。

つまり、我々はその復興作業を続けさせないことが大切である。プノンペンにいると、田にいる時より、首は白くなり、足も長くなって(泥にめり込まないからか?)一時的に御馳走を食べれるが、身の安全は保障の限りではない。我々に対する批判は、合意内容に従わないSNCやUNAMICは、見てみないふりだ。三派は誹謗されるので、末端の部下から少しずつ減ってしまう。

そうなれば、我々も合意内容を実行できないという考えに至る。やつらは協定を利用して、自分たちの利益がある方向へ向かわせている。我々の、民主カンプチアの力は偉大なものだが、我々だけではその力は弱いものになってしまう。他のカンボジア人が民主カンプチアを非難していると、我々は孤立して弱くなってしまう。三派のなかの二派(シハヌークとソン・サン)も我々を非難して、ベトナムとその傀儡のプノンペン政権、そして西側と、別の協定を結ぼうとしている。

(カンボジア国内へ復興作業のために兵士を派遣することを)中国もタイも承諾した現状では、中国が本意で、もしくは不本意ながら参加していることとは関係なく、カンボジアはベトナムに握られているということだ。

一つ、ベトナムはカンボジアに居座り続ける。

二つ、ベトナムの指導者は、軍事指導や警察教育を、首都プノンペンで、各県で、各市で続行する。指導するのはアメリカや西側ではなく、傀儡の主人ベトナムだ。

我々がプノンペンの街の真ん中で暴行されても、誰も気にしない。やつらはティア・ブンロン氏を殺害したが、それさえ誰も気に留めない。最近のオンチャン氏暗殺事件でも、アメリカのラジオ放送はプノンペン政権の犯行を否定したが、我々は確証はないものの、我々を陥れるための茶番と睨んでいる。こうした陰謀をこのまま続けさせる訳にはゆかない。

支援が減って、我々が弱体化するような合意内容には、もう従っておれない。我々は攻撃を開始する。二派はプノンペンと協力するだろうが、後には、三派として策略していたのではないかと糾弾されるに決まっている。だが、私は二派が今、どちらにつこうかと両天秤に掛け始めていると観る。我々とでも、やつらとでも効果はある。ベトナムとの国交に関する調印は、この辺を計算してのことだったようだ。人名(読めず)が聞いた質問に対してフン・セン氏は答える用意があるのか。その調印は、西側から欲しい物を得るための手続きを、簡単にするためのものだった、と私が代わりに答えておこう。

それは一つに、西側からの援助が欲しいから。

二つに、他人に迎合して、自分の考えを持たず、やつらは死んだも同然だから。フランス民主党はシハヌーク殿下に「やつらを抱きしめてやれば、もっと早く“死ぬ”」と諭していたと察する。

ここで我々は、この問題はどういう意味なのか、悪い方向なのかと、再検討を要求される。この方向に進めば、我々の国家と国民に危機が迫ってくる。中国はベトナムを批判できなくなっているにもかかわらず、ベトナムがまだカンボジア内に居続けている。これでは、誰もが動けなくなるということだ。

タイと我々は相互に関係を持っている。だが、同時にチア・シムやサエ・ブウォン氏もしばしばタイを訪れている。フン・セン氏もタイで健康診断を受けたりしている。これでは、我々は何を決定しても(リークして)失敗する。

三つに、この状況は国家と国民、我々にとってどういう意味を持つのか。

四つに、攻撃の方法はどうするのか。

我々の戦術は何も新しいものではない。

プノンペンの戦術は都市市民を奪う方法だが、我々は地方を攻撃し、先ず周辺の住民を奪う。この戦術を貫徹すべきである。一気に攻撃をかけて、ベトナムの兵士や役人をから、村や地域の権力を奪還するのだ。そして、その後は(権力を)政治力として利用するのである。

以上の全ての作戦をそのまま実行する。我々が確認しておかなくてはならないことは、第一期攻撃においては、やつらは我々に一部を取られるだけで、我々も多少の被害を受けることになるが、依然として我々は有利な立場にいるということだ。特に戦闘では兵力に被害が出て厳しい局面も出てくるだろうが、そこは戦闘だけではなく政治、外交、会議で力が一方向になる時期を待つわけである。

我々の一部も、特に二派は平和を待望しているが、それを行動に移すことが良いか悪いかは検討の余地がある。シハヌーク殿下は、このことについてあまり触れていないが、ラナリット殿下は以前のような一途さはなく、迷い始めている。この作戦に対して、中国は無関心を装っている。中国の態度は、港に近づく船がスピードを落とすのにたとえられる。タイが今後とろうとしている措置は、外国語で表すと「IMPU(I)SSANCE(無力・無能)」であり、アラタス(インドネシア外相)も、そう感づいている。展望が持てる「IMPU(I)SSANCE」のことは、中国も分かっている。しかし同時に、同じ「IMPU(I)SSANCE」を、プノンペンにいるベトナムも既に知っているのだ。

我々は次の二点で危険に晒されている。

第一点は、ベトナムがカンボジアに居るということを、誰も確証していないので、やつらはカンボジアの主として存在し続けられる。

第2点は、百万人以上のベトナム人がカンボジア東部にいる。中部や西部にも、少ないが、いる。やつらは新カンボジア国民となろうとしている。そして、やつらはクメールルージュが最期に近づくと、兵士だけでなく一般市民もが一気に攻めてくる。

〔III〕(番号のみ、標題なし)

経験によれば、私は一九七五年、レヨン氏と話し合った。当時はラス・サウァンラットナー氏、現在はプロテットラス氏に、話せば全ては上手くいった。ソワンプマ氏でも、プロテットラス氏には全て従っていた。今、やつらはシハヌーク殿下をサウァンラットナー氏のような存在にしようと企んでいる。この陰謀を殿下に知らせなければならない。(一九九二年)一月二十六日、殿下は我々に、こう言っている。「何としても、自分たちの計画を邪魔されないように。万一にも、あなたたちの計画が潰されてしまっては、私はプノンペンの傀儡になってしまうから」と。殿下にはクメールルージュがついているから、サウァンラットナー氏とは立場が違う。サウァンラットナー氏とソワンプマ氏は味方を持っていないので、西側も無視している。たとえいても、相手にするのはジャーナリストくらいだ。

カンボジアではクメールルージュ問題は、鍵であり、基礎である。やつらが中国を責めないのは、我々がいるからだ。だから、やつらは我々を抹殺してしまおうと、誘惑しにきたり、攻撃してきたりする。

総合的に言うと、死ぬまで我々は三派を味方につけておく必要があり、三派は死ぬまで味方を必要としているということだ。だが、我々を助けることは味方でもできない。特に殿下においては最近、大変複雑な問題を抱えている。当座は、自分たちで自分たちの民主カンプチアを救うしかない。

こうした困難に民主カンプチアが遭遇するのは、今に始まったことでもない。一九七八~七九年には、民主カンプチアだけが戦っていた。この十三年間も、民主カンプチアだけが活動してきた。外交でも民主カンプチアだけが積極的だった。八七~八八年には、ベトナムの傀儡を抱きしめ(仏式の儀礼抱擁)に行ったシハヌーク殿下を、我々の側に取り戻したのだ。そしてパリ調印では、我々は基本的にSNCで攻めるということで、自分たちの立場を確保し、民主カンプチアを救った。現状況と何も違わないではないか。

確認する。我々への支持を固めよう。以前より前進しているではないか。われわれの四か条の遵守は固かった。だが、今は四か条に従った行動は、以前より脆弱なものになりつつある。我々は自らを引き締めなくてはならない。先ず地方での支持を固め、プノンペンでも固めてゆくのだ。村で、地域でベトナムを失脚させてゆくのだ。特に第二と第三計画区(?)においては、改めて支持固めに努める。この支持固めの意味は、皆に我々の政策を理解させるためであり、すでに理解している所でも、さらに教育に努めることだ。

今に問題が起きる。もし我々が攻撃を始めれば、地方や首都の状況はどうなるか。私はすでに言及している。我々が攻撃を始めれば、世界を含んで、誰もが驚愕し、注目する。
そして混乱する。我々の心配事が幸せに転じる混乱が必要である。そうすれば、正常な赤ん坊が、楽に生まれてくる。であるから、UNTACはカンボジアに来る必要はなくなるのである。

例えば、コンポントムでは既に問題が起きている。戦闘が二、三回あり、やつらも反撃したが、自分たちが負けると、我々を非難した。我々もやつらを訴えた。そうすると、シハヌーク殿下は「UNTACに来てもらえ」と言った。また、コンポントム市民に対する暴行事件が起こった時には、殿下はこうも言った。「プノンペン政権は『クメールルージュの仕業だ』と訴えた。だが、フンシンペックの党員は私に『実は、プノンペン政権が仕組んだ』と知らせてくれた。こんなにお互い訴え合っていて、どうして解決するのか。UNTACしか可能性はない」と。

我々はこうした問題がさらに発生することを望む。発生しなければ簡単だと、誰も彼も、中国までもが言う。そんな中国からの大使は、私の考えを聞いて、調整が必要だと意見までした。

例えば、我々はパイリンを陥落させる(UNTACを立ち入らせることか?)わけにはゆかない、と表明した時、チドン氏は不快感を隠さなかったが、明石特別代表が慌ててやって来た。このことでも、一つ問題が発生した。

攻撃に関して、兵力はどう推移しているか。シハヌーク殿下は、我々が前進すれば安心するし、ラナリット殿下の兵力も計算に入れている。ソン・サン議長も、タイも、中国も、在仏カンボジア人も同じく、旗を振る人を必要としている。ただ、その必要性をなかなか表さない。指導者を頻繁に代えて、自分たちの批判ばかりに明け暮れている中国に旗を振らせるわけにはゆかない。我々こそがプノンペンと地方の戦場で旗を振るべきである。SNCにとっても、総合軍事会議にとっても、プノンペンはパリ協定の遵守を会議で実践する場である。だが、我々のプノンペン事務所を取り巻く連中は、時期が来たら、理由にならない理由をつけて、我々の居場所を変更するだろう。その変更に対して、殿下は「ありがとう」としか言わないのだ。

やつらは基本的に時期が近づいたら、別の場所を貸切り、移動することを考えている。
ソン・サン議長の考えではないだろうが、私はそんな未定要素に振り回され、自分の居場所を決めかねている。パタヤ会議で聞いたのは、我々の事務所はプノンペンの高級な一軒屋が割り当てられるということだったが、その後、SNCはその屋敷を明石特別代表に譲って、我々を宮殿に住まわせることにした。そして今、また宮殿内ではなく、その南側に変更している。こうして、我々は追い詰められてゆく。やつらは我々の立場を決して理解しようとはしない。やつらは決定事項に文句がつくことを恐れているので、議題を出す前に徹底的に準備している。しかし、何も決定しないでは、また文句が出るので、決議事項に対する文句は第三者に言わせている。やつらの内部でも、誰も彼もが批判することは許されない。

私はこうした悪い環境を確認しているので、UNTACが来たら、我々はプノンペンを出る。やつらの究極の目標は、いずれにせよクメールルージュをプノンペンから追い出すことだから。もしクメールルージュがただの魚屋だったらプノンペンに居てもよいと言うだろうが、政治活動をするクメールルージュにはそうは言わない。

やつらは我々がプノンペン入りし次第、攻撃してくるつもりだろう。だが、一方的に攻めては損な立場になるから、何かにつけて「迷惑している」とか言ってくるだろう。こうした状況は十分予想できるので、そんな汚水(政治環境のこと)はフィルターで漉して処理するしかない。我々はタガーキャンプ(タイ国境の難民キャンプ)で経験ずみである。
UNBRO(国連国境救援機構)に頭を下げれば(援助物資で釣って)民衆を従わせることもできるが、ちょっと無謀でも反対しているリーダーを逮捕するしか根本的解決には至らない。そうすれば、批判は我々に集中するが、批判するばかりで実力のない奴は、放っておいた。選別的に逮捕してくることで、民衆の統率力を手中に集められるのである。

戦術とその知識についてはまだ話していないが、ここで我々の立場に於ける任務を記す。現在、シハヌーク殿下は自分で台所に立っている。殿下は大小様々な会議に出席し、大勢の来客を応対しているが、誰も殿下を手伝おうとしない。ラナリット殿下を独立させているのは、シハヌーク殿下独特の子供の教育法かも知れないが、こんな状態が続けば、殿下の健康に良くはない。特に精神的にストレスが溜まり、ノイローゼになってしまう。

過去にも、そうした微妙な精神状態の一時期があった。それ故に、殿下には暫く外遊して頂きたい。しかし、殿下自身の地位を危うくするような長期にはならないように。タゴォック問題に対しては我々は二つの準備がある。

一つは、UNBROと調整すること。

二つは、やつら(UNBRO)と絶交すること。

この二案によって誰が勝ち、誰が負けることになろうか。キャンプ内でも市民は我々についている。だが、リーダーは市民が我々に近づくことを嫌っている。闘いはそんなリーダーを引き抜いて、市民を我々側につけることだ。

これは昔から言われていることだが、より良い戦術を採るためには、状況をしっかり把握し、進路を切り開くかなければならない。

我々が旗を振るに当たって内部には何の問題もないが、(中国との)三角関係に予期せぬひびが入って外交に予算がかかること、そして在仏カンボジア人がシハヌーク殿下とラナリット殿下に批判的になっているかも知れないことが、障害となりうる。

〔IV〕一部事実とされている問題

ここでは我々と敵それぞれの短所と長所を確認する。

(1)戦況

ベトナム軍は、兵員増強と立て直しをする余裕を与えない。我々は増強して立て直す必要があるが、敵は我々を弱体化させたい。西側からの人道的援助をもらいながら、ベトナムとその傀儡は着実に増強させている。チドン氏は我々が協定に違反していると批判するが、プノンペン政府には何も意見しない。だが、現実にはやつらはベトナム兵を前線へ送り込み続け、我々に攻撃を仕掛けてきている。

シェムレアップでは、ワリン、スレーノイー、クァオで我々を攻撃している。国道六号線沿いに入り込み、我々の背後から攻撃してくるので、反撃中である。

ストンでは、味方のパン氏に依ると、やつらは攻撃を続行しているが、バッタンバンへの後退が難しくなるので、国道十号線沿いからではない。万一、パン氏が敗れたら、五〇五連隊は撤退を強いられる。現在、難民レセプションセンターを建設するためと称して、コスクローを攻撃されている。すでにプノム・バサックを取られてしまっている。

UNTACが来る前に、やつらに攻撃されっぱなしで立て直しの余裕もなく、外交資金も底をつきかけているが、私は戦場のことでは心配していない。それよりも、カンボジアに居座っているベトナム人の検証が行われていないから、やつらはラタナキリ県やモンドルキリ県へどんどん派兵するなど、好き放題やっていることの方が問題だ。チィン氏が「ベトナムはドラゴンのしっぽを切り離した」と言っているうちに、オ・ドァン・ボク付近の国境から四十キロ位入り込んできている。この豊かな土地に住んだことがある奴はまた入ってくるし、今住んでいる奴はそう簡単には出て行かない。

スイン氏の報告によれば、ボケオのボク村からオプレイ西まで、そして、センモノロム東側とスラエクニョム、スヌエには、かつてクランナム(族)やトロン(族)が入植していたことがあるので、すでに全ての地域を抑えられてしまっている。またチャプセク地区もベトナムの手に落ちている。またタケオ県では、ベトナムはウィンテリー川に平行してクォム・サムノウまで運河を掘っているくらいだから、やつらは簡単には出て行かない。

そしてやつらはシンパを集めて、合意内容に反対する。やつらは戦闘では負けるので、外交の方で手を尽くしている。シハヌーク殿下にも、そんな奴らの頭を撫でて「可愛い、可愛い」なって言っていて貰っては困るのだ。我々は持てる力を結集して、挑まなければならない。

シハヌーク殿下は戦争する勇気もなかったのに、以前から「中立的立場」をとっている。今に至っては「中立、中立」と繰り返すばかりで、戦う勇気を失ってしまっているはずだ。

(文・写真/阿佐部伸一)

トップに戻る