阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

タイなぜ民主主義が定着しない?2010年7月

タイ動乱

2010年5月、バンコクで約二千人が死傷した。「国会解散・総選挙」を求めるタクシン派(赤シャツ、UDD反独裁民主同盟)の集会に軍が突入したのである。軍部によるクーデターはこれまでに何度もあったが、今回の騒ぎは放火や略奪、流血にまで至った。司法当局が総選挙の結果を無効にしたり、解党を命じたりする一方、憲法はあるものの非常事態法の下、検察も裁判所も機能していない。赤シャツはASEAN東アジアサミットを延期させたり、反タクシン派(黄シャツ、PAD民主市民連合)はバンコク新国際空港など6つの空港を封鎖したりと、この内政問題は諸外国も損害を被っている。あたかも他国に侵略され、植民政府の統治下に入ったかのように、過去が帳消しになる。沸々と湧いてくるのは、こんな疑問だ。「なぜタイには民主主義が定着しないのか?どうしてタイの人たちは経済や信用への影響も考えず、そこまでやってしまうのか?」

軍突入への流れ

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軍突入の惨劇から3か月、百か日法要でラチャプラソン交差点に集まった赤シャツ=タイ・バンコクで

2001年から約5年半、第31代首相に就いたタクシン・チナワット(1949年生まれ)は、タイ史上初めて『30バーツ医療』や『村資金』など、農民ら貧困層の暮らしをボトムアップする政策を実施した。だが、タクシン一族によるシナワトラ(チナワットの英語読み)財閥への利権誘導や資産隠しなどをキッカケに反タクシン運動が起き、2006年9月には軍がクーデターでタクシンを追放。翌年の総選挙でタクシン派が国民の支持を得て再び政権を握ると、黄シャツの反政府運動が再燃する。同年にはタクシン派の『タイ愛国党』が、08年にはその流れを汲む『国民の力党』がそれぞれ選挙違反を理由に解党され、第二党だった黄シャツの民主党が08年末に政権を奪取。対する、赤シャツは10年3月、国会の即時解散を求めて大規模な抗議集会を開いた。これに軍が突入、今回の死傷者二千人を出す事件に発展したのだ。

■略年表参照

非常事態宣言の延長

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黄シャツが占拠し、10日間封鎖した一日10万人が利用するスワナプム国際空港

衝突の最中は国内の仕事の手が離せず、タイへ行けなかったが、マスコミ報道だけでは釈然としない疑問を晴らしたい。3か月の非常事態宣言が、さらに3か月延長された2010年7月、ようやく現地取材に漕ぎ着けた。「それはタイ人にも解りませんよ。敢えて言えば、熱帯だからですかね」。そんな運命論が好きなタイ人の友人(59)と合流。バンコクと地方それぞれで人々が感じ、考えていること聞いて回ることにした。

降り立ったスワンナプムバンコク新国際空港。いつものように入国審査には長蛇の列ができていた。08年11月、黄シャツ数千人が『国民の力党』のソムチャイ首相辞任を求めて座り込み10日間も閉鎖されたのが信じられない。旅客数が一日10万人規模のスワンナプム故に、その損失は1500億バーツ(1バーツ≒2.8円)近くに達し、その余波で10年の国内総生産(GDP)成長率は1999年以降最低の2%に落ち込むと直後は予測されていた。しかし、中国向け自動車などの輸出が好調だったことから10~12月期には5.8%と前年同期比でプラスに転じ、不思議と混乱の影響は小さく、マクロ経済は今も堅調だ。

流血の現場

赤シャツが築いていたバリケードに2010年5月19日、軍が突入し、デモは一応の終息を見た。先ずはその現場へ向かう。途中、赤シャツがルンピニー公園へ移動する前に集結していた戦勝記念塔近くで、黒こげの廃ビルに掲げられた横断幕が目を引いた。その文言は「困っています。政府の援助を待っています」と。放火の跡である。赤シャツのバリケードで封鎖されていたラーマ4世通りに面した電力公社のビルも吹き出した煤で真っ黒。ビル内は完全に灰燼と化し、火災前にどう使われていたのか全く判らない。廃墟を囲む仮設塀には、こんなスローガンが。「違う考え方を認めましょう。非暴力と法律を守ってください。バンコク首都電力公社労働組合」

社会福祉活動家のプラティープ・ウンソンタム・秦さん(57)は5月15日から19日にかけ、このラーマ4世通りの入り口、クロントイの交番横で演説し、昼間は数百人が、夜間は一万人を超す人が集まった。それが非常事態法に触れ、5月21日までに逮捕状が出された。デモ参加者の多くは、東北タイの農民や、地方からバンコクへ出稼ぎに来て、スラムなどに住み着いた労働者で、彼女が教育や医療、住環境などで支援してきた貧困層とダブる。デモで負傷した人を見舞ったり、命を落とした人の家族に連絡したりしていた彼女は、増え続ける死傷者に心を痛め、デモへ行くなと引き留める一方、すでに中央のステージで声を上げられなくなっていた赤シャツに発言する場を与えていたのである。

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3か月経っても、廃墟と化したビルが不気味な姿をさらしていた=戦勝記念塔近くで

赤シャツ幹部もこれ以上死者を出してはいけないと19日、敗北を宣言し、投降し始めていたが、集会ステージを設けられていたラチャプラソン交差点でも同日午後1時半ごろから銃声や爆発音が響いた。赤シャツの一部は敗北宣言に怒って、治安部隊と銃撃戦を交わして抵抗したり、暴徒化した。ステージ付近にいた赤シャツ支持者と一般通行人は身の危険を感じて、多くが約300メートル西のパトゥムワナラム寺院に避難した。この寺は政府と赤シャツの間で避難場所として合意されていたからだった。だが、同日午後7時頃、門から境内へ入ってすぐのところに張られていた医療テントが銃弾を浴び、スタッフら6人が亡くなった。

その現場を訪れると、アスファルト舗装に深さ3センチほどの弾痕が数個残っていた。寺の前にはスカイトレインの高架駅があり、角度的にも駅から狙撃されたようだ。弾痕を調べれば銃の種類や撃った場所などが特定でき、目撃者の証言と併せて容疑者を絞れる。だが、捜査が進んでいる様子はなく、かといって、アスファルトを剥がすなどして証拠隠滅が図られる気配もなかった。それは被害者が赤シャツだったからか。この日、境内の地面にはデモ犠牲者の100日法要のために花輪が置かれていて、赤いシャツを着た人たちが三々五々、赤いバラを供えていた。そして、その様子を撮影していた記者に参拝者の一人が「夕方4時にラチャプラソン交差点に立つことになっています」と囁いた。「集会」や「デモ」といった言葉は注意深く避けるのは、まだ非常事態宣言が解除されていないからだ。

午後3時半、その交差点には、既に300人を超す警官が歩道と車道の境に壁を作るように並んでいた。集まり始めた赤シャツとは通りを挟んで対峙する形になった。赤シャツたちは、ヒットラーの顔をアピシット首相に入れ替えたポスターを貼って廻り、手に手に持参した赤いバラを赤い布で信号や街灯の柱に結わえ付ける。一本また一本と、結わい付ける度に歓声と拍手が起こる。様々な方角から2人、5人とやってきた赤シャツも300人を超し、とうとう歩道から溢れんばかりになる。集会やデモは未だ禁止されているが、そうこうするうちにシュプレヒコールが始まった。「私たちは見た、人が死ぬのを!」。高架駅や歩道橋に鈴なりになった野次馬が見つめるなか、警察隊との睨み合いは1時間を超した。結局、赤シャツの代表が憲法を模したハリボテの法典を警察に手渡すというパフォーマンスで”抗議集会”を締め括り、平穏に解散となった。

逮捕状

プラティープさんには、ぜひ今回の経緯を聞きたく思い、プラティープ財団を訪ねた。だが、逮捕されないよう、記者の取材期間中も隠遁生活を余儀なくされていて、会えなかった。彼女はバンコクのクロントイスラム出身で、スラムの子供たちに『1バーツ学校』を開いたことで78年にマグサイサイ賞を受け、『ドゥアンプラティープ財団』を設立。理事長として麻薬やエイズ問題にも取り組む傍ら、立ち退きを迫る港湾局との交渉にも住民代表として当たり、2000年には上院議員に選出されている。

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「平和、非暴力、国民を殺すな」と訴えたプラティープ前理事長に逮捕状が出て、経緯を代弁する姉のミンポンさん=プラティープ財団で

姉のミンポンさん(65)は「連絡は取れていて、元気です。でも、『私は悪いことはしていないのに、何故こんな目に遭うのか』と悔しがっています」と。姉によると、プラティープさんは「平和・非暴力 国民を殺さないで下さい」というステッカーを作り、5月16日夕方からは「暴力は止め、これ以上死者を出さないで」とメガホンを手に叫んだ。報道にあるような「ステージを作って、アジったり」はしておらず、ピックアップトラックの荷台や椅子の上から鎮静化を訴えただけだったという。ただ、赤シャツの集会へ食糧の差し入れはしていた。そのことが黄シャツの癇に障ったのだろうか。

プラティープ前理事長は逮捕状が出されただけでなく、資産を凍結されている18人の一人。銀行で彼女のサインが必要な場合も少なくなく、財団の経理に支障が出ている。また、7、8月に財団の事業を見学する予定だったアメリカや日本からのスタディツアーが取り止めになったり、個人の見学者も少なくなって、財団への寄付金が減少している。加えて、黄シャツ派の銀行と実施してきたスラム住人の家計改善プロジェクトは、プラティープさんに逮捕状が出たことで、銀行が支援をストップ。財団の活動は止まってはいないが、スローダウンしているのは否めない。但し、長年関係を保ってきた日米豪などの支援団体は、今回のことは政治的弾圧と理解していて、奨学金制度は続けられているという。

格差が理解の妨げ

財団の事業の一つ、スラムの幼稚園に立ち寄ると、スタッフと雑談になった。ペンワディー総本部長(48)は、プラティープさんのこんな言葉が印象に残っていると話す。「問題にぶつかった時、中間層は一拍置いて間接的な対応に出ますが、貧困層というのは切羽詰まっているので直情的な言動になってしまいます」。ペンワディーさんは今回のデモ自体は理解できるが、指導者が感情を煽るばかりで、理性的な行動を取らせなかったのは良くなく、それが政府の武力行使に到ってしまったと残念がる。

傍にいた女性スタッフは日々の出来事にも憤りを感じているようだ。「息子の高校でのことなんですが、先生が教室で『カティア少将が殺され、今日は気分が良い。私は赤シャツが大嫌いだ』なんて言うらしいんです」。その教師は赤シャツを武力制圧したこと自体が暴力だということ、暴力は自分の心の中にも潜んでいるということに気付いていない。大事なことは、理解すること。相手の立場や気持ちを理解すれば、思い遣りの気持ちが出て来る。それが出来ないのは、大き過ぎる格差があるからだと、その女性スタッフは話す。

ペンワディー総本部長は、個人的にも現政府の即時解散・総選挙を希望している。新政府に求めることは、①相続税や遊休地税を課し、それを財源に貧困層に土地と住まいを与える、②15年義務教育の無料化徹底、③消費税を上げずに所得増を、④均一30バーツ医療の続行。彼女は日本を含め外国に、政府が非常事態宣言を延長するのは、一重に反対派を抑えておきたいからで、タイの現状は想像するほど酷くはないと伝えて欲しいと言う。

在バンコク日本人

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暴徒化した一部の赤シャツが法かしたとされるショッピングセンター、セントラルワールド

19日の強制排除後に「暴徒化した一部の赤シャツが放火した」とされる巨大ショッピングセンター『セントラルワールド』を訪ねた。修復中の建築シートから黒焦げの外壁が覗く。その現場から最も離れているビル北端では、伊勢丹だけが2か月半ぶりに営業を再開していた。伊勢丹前にはガネーシャ像があり、祈る人が絶えなかったものだ。供物のダールゥアン(花輪)を売っているニットさん(19)は、「まだ伊勢丹しか開いてないので、売り上げはデモ以前の3割です。今の政府に補償金を求めてるんです」。歩道でTシャツと飲み物を売っているヌットさん(30)は、「19日から1か月余り店を閉めてたら、Tシャツを屋台ごと盗まれてしまった。政府が補償するのは、ビルの中の大きな店だけだから…」と。騒ぎは終息したものの、シコリは残ったままのようだ。

「もう迷惑千万ですよ」。日系自動車部品工場に勤め、タイ人の妻との間に2児がいる在タイ15年のS氏(44)は、セントラルワールドが閉鎖され、日曜日に遊びに行くところがなくなったと不満そうだ。タイに居住する日本人は短期滞在も含めると7、8万人。製造業は殆ど影響なかったが、サービス業は客が来なくなり大打撃。日本人のタイへの入国者数は2010年5月、約4万5千人と半減した。S氏によると、在バンコク日本人の大半は「赤シャツは、機に乗じて暴れているヤクザか麻薬中毒者。でなければ、哀れな貧乏人」という見方をしているという。世界不況の影響は1年目だけで、今のタイには仕事はあり、人手不足。中卒の工員でも日給270B。高卒のOLだと、月給1万8千バーツが相場。「バリケードの内側にいた連中はクズだ。政治思想があるわけない。働け!と言いたいよ」。貧困層は奨学金制度もあるのに勉強せず、田舎へ帰れば自給自足で喰えるからと遊んでばかりいると彼は見ている。しかし、貧困家庭の子供が将来に夢や希望を持てず、大人になっても勤労精神がないといった『貧困の連鎖』は、二極化が進む日本でも社会問題となっている。

貧富の差?

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林立する高速道路や高層ビルと廃材などで建てられたバラック。スラムの住民も教育を受けられるようになり、目覚めたのか?=バンコク、クロントイで

今回の動乱は階級闘争とも言われているが、タマサート大学経済学部アピチャート氏が10年6月に発表した調査によると、デモ参加者約5500人に対する聴き取りの結果、やはり大きな格差があると言える。農民や労働者が主体の赤シャツの平均月収は約1万7千バーツ。高等教育を受け安定した仕事を持っている人が多い黄色シャツは約3万1千バーツ。2倍近い所得格差がある。しかし、この程度の格差ならば日本でも地方の農業従事者と東京のホワイトカラーとの間にもある。

むしろ07年10月の経済紙『クルンテップ・トゥラキット』に載った統計の方が、タイの実情を如実に映しているようだ。全国の銀行には計7134万口座があり、預金総額は6京6100兆バーツ、1口座の平均は9万2567バーツになる。ところが、大口口座を除く98.8%、7046万口座の平均預金高は2万4513バーツで、預金総額の26.2%でしかない。これは中産層が薄く、貧困者99人に対して、一人の大金持ちがいるような社会だ。相続税や固定資産税を設けられない国会にも問題がありそうだ。

バンコクのバス停で10分も待っていると、『無料バス 国民の税金で』と表示したバスがやって来た。タクシン政権の貧困層に手厚い行政は地方の農村だけではなく、都内でも継続されている。タイ人の友人によると、こうした路線バスの一部や月額およそ1000円以下の電力料金、国鉄の3等が無料になっている。しかし、一方で、政府は信用ならないと、納税より寺への喜捨が一般的だったり、定価や内容が曖昧な商品やサービスが多かったりする。夕方のスコールがやってきて、タクシーを拾おうとすると乗車拒否に遭う。客が多いとメーター料金で乗せない運転手が少なくない。街を歩いていても社会自体が贈収賄の温床ではないかと感じる。

意見するスラム住民

バンコクで赤シャツが多いクロントイスラム。1960年代工業化し始めたタイで、クロントイ港での港湾労働を求めてやって来た農民たちが、港近くの湿地帯に住みだしたのが興りで、現在は約8万人が暮らしている。

ここで雑貨屋を営むシャローさん(49)は「兵隊が高い所からデモ隊を狙い撃ちしたのを、この目で見たんです」と、未だに怒りが収まらない様子だ。彼女は時間がある日はデモに参加していた。目撃者に加え、写真やビデオなどの証拠があっても、今のこの国では警察は立件せず、裁判も開かれない。非常事態宣言は「5人以上集まると逮捕」という点でも商売の邪魔だという。雑貨屋は日頃から住民たちの”会議室”だからだ。  初めてこのスラムで取材した四半世紀前は、沼に打った杭に渡した板を伝ってバラックを訪ねて回ったものだが、今は住民たちの労苦が実り、コンクリートの路地にタイル貼りの二階建ても居並ぶ。同時に、殆ど住民たちは教育を受けられるようになり、自分の意見をしっかり話せる世代も増えている。

デモ中アパートの水道と電気を止められ、家に帰れなかったブンマーさん(35)は、現政権への不満を爆発させる。「政府は貧しい人たちの気持ちが分かっていない。嘘ばかりついて、武力を使い、指導者の資格なしです。空港閉鎖とか黄シャツがやったことを問わないのは”ダブルスタンダード”。タイのメディアに公正な報道は期待できません。外国人ジャーナリストが殺されたのは、彼らにとって都合の悪い取材をしていたからではないですか」。スラム生まれだが、学校へ行けたブンマーさんは『ダブルスタンダード』という英単語も交え、理路整然と訴える。

老「共産党党首」

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70年代は人民解放だったが、今は民主主義“革命”が必要と訴える自称タイ共産党党首、スラチャイさん

今回の大きなムーブメントは、1970年代をも彷彿とさせる。当時、インドシナではベトナム戦争やラオス解放が、ここタイでは共産党ゲリラの反政府活動が盛んだった。バンコク市内でも中心部を少し離れると、70年代そのままの高床式民家が残っている。タイ共産党スラチャイ・ダンワタナー・ヌソーン党首(68)に会ったのは、そんな家のさしずめ農機具などを置く床下だった。『タイ共産党』の党首と言っても、この国では共産党は非合法な存在なので、自称ということになる。暴力に訴えなければ、左派政党もあって当然の民主主義だが、この国は左派イコール反政府ゲリラやテロ集団とみなしているようだ。

彼は70年代タイ共産党の宣伝部隊に所属し、ジャングルに立て籠もって闘っていた。78年、和平会談に共産党から3人の出席を求められ、出て行くと「降伏」と解されたという。共産主義活動とスラータニ県知事公舎への放火、列車強盗の容疑で軍事法廷へ送られ、判決は懲役16年と160万バーツの弁済だった。「政治犯だったから、死刑にならなかったと思います」。刑務所では、いわゆる思想改造教育はなく、以前からやっていたラジオとテレビの修理を他の受刑者に教えていたという。

スラチャイ党首は、しっかりとした口調で続ける。1970年代はイデオロギーの対立だった。インドシナ解放を目指して学生は左に傾倒し、帝国主義や資本主義、階級主義と闘っていた。当時は右が左を抑えようと、今は左が右を抑え込もうとしている。昔は人民解放だったが、今は民主主義革命が必要だ。赤シャツは改革を求めているが、我々が目指しているのは「革命」だ。用語は今でも勇ましい。現代の左派は、タクシン派(赤シャツ)と昔からの共産主義者。70年代を一緒に闘い、タイ愛国党を経て、赤シャツ幹部になった元同志はその後、突進して失敗した。「行き場がなくて困っているという点で、彼らは当時の私に似ている。次の政権でだろうが、最終的には恩赦されるだろう」と同情的だ。「現政府を倒そうとは思っていないが」とことわった上で、タイの法律を守って、極端にならない活動は一つの選択肢なので、自分たちが前へ出て行って指導しようと考えているという。非常事態宣言が出されていない南部のラッシャブリ県で集会を予定していると、A4サイズのビラを見せる。「7月24日15時バーンポンで会いましょう。赤シャツ、民主主義と正義を愛している人へ」

共産主義者ならば王室の存在自体を否定するかと話題を振ったが、長い獄中生活に懲りたのか、案外柔和な答が返ってきた。日本は敗戦し、アメリカの外圧で民主化した。日本の天皇がシンボルで政治には関与しないことに賛成だ。王室があるデンマークやスウェーデンなどからも学びたい。日本では政党は天皇を利用せず、問題は起こっていない。タイでは国王を批判することはなくても、政党が国王を利用している。しかし、タイで王制を止めるには、弊害が多すぎる。民主主義ならばタイに王室があって良いが、やはり革命が必要だ。波瀾万丈の人生を送り、齢も取ったが、祖国が再び大混乱に陥った今、隠居している場合ではなくなったと話すスラチャイ党首。彼の所へはインタビュー中から集会の準備するため同志が続々と集まってきた。

黄シャツはどこ?

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首相府広報ラジオ番組のプロデューサー、ヨッマライ氏は黄シャツ派だが…

体制側ならば堂々と話せるはずだが、黄シャツのタイ人たちには、なぜかなかなか会えない。ちなみに、黄シャツの黄色は国王の色。タイには曜日ごとに色があり、プーミポン国王が黄色の月曜生まれだからだそうだ。暴徒化した赤シャツの一部には嫌悪していても、赤シャツ寄りの意見が多いのは、総選結果を踏まえると自然とも思える。政府見解ならまだしも、個人で黄シャツ寄りの発言をするには、黄シャツも潔白ではないだけに、相当の覚悟が必要なのだろう。

そんな中、ランシット大学政治学部教授のヨッマライ氏(45)と会えた。彼は首相府広報のラジオ番組をプロデューサーとして請け負い、週5回1時間番組をバンコクと周辺へ放送している。取材に訪れた日の番組は、『ラーマーヤナ物語』の舞台公演を紹介し、電話で古典文学の大学研究者に解説してもらうという内容。

「プミポン国王は60年以上この国を治めて来られたので何でも良くご存知ですから…」と、自ら王室派であることを顕示する枕詞で話し始める。そんな黄シャツ派の彼だが、それでも最近の圧力には憤りを感じているようだ。番組名が2010年5月『思想は違っても共生』から『我々は王様を敬愛しています』に変わったという。さらに翌6月、当局が番組内で赤シャツグループを糾弾するようにと注文してきた。番組パーソナリティも務めるヨッマライ氏は、一方的な”欠席裁判”はしたくないという考え。赤シャツ関係者をスタジオ出演させたり、電話インタビューしたりして、黄シャツ側と討論させるという彼の提案は受け入れられず、地方への衛星中継が打ち切られたそうだ。

「真実を求めない国」

プラティープさんは逮捕状が出る直前にプラティープ財団理事長を辞任、黄シャツ派が多い財団理事20人全員がそれを承認し、サン・ハトリラット氏(71)が引き継いでいる。政財界で力がある黄シャツ派の中にも、貧困解消を支援する人たちもいるということだ。サン新理事長は医師で、この国の救急救命医療の第一人者でもある。プラティープさんとは92年のスチンダー軍政退陣要求デモ以来の付き合いだという。

プラティープ財団は長年、教育や医療などの側面から貧困者層の底上げをして来たので、タクシン派の赤シャツとみなされている。しかし、サン理事長は「我々は赤シャツ支持というイメージがあるが、長年の活動を見て来た人は理解していると思う。18年前もスラムの住民の中には暴力グループがいたが、我々は一貫して平和路線でした」と、一部が暴徒化した赤シャツとの違いを説く。

しかし、サン新理事長は現体制には大変不満なようで、不可解な事件を列挙する。「情報化時代の現代は、暗殺も巧妙になっていて、交通事故や個人同士の喧嘩を装っているようです。昨年4月に首相の車が赤シャツに襲撃され、犯人の顔まで映っていたのに、誰も逮捕されていない。カティア陸軍少将は誰に狙撃されたのか?あんな技は軍しか持っていないはずです。約2千人が死傷し、デパートも放火されたりしたが、誰がやったのか発表されない。6月には石油タンクが撃たれ、赤シャツの仕業とされているが、撃たれたのは9個あるタンクのうち空のタンクだった。こうした不可解な事件から、政府側が仕組んだのではないかという疑惑が持ち上がっています。政府は国民和解と言っていますが、その方向に進んでいないのが現実です。アピシット首相はイギリス留学の経験があり、民主主義を良く知っているはず。裏で誰が彼を動かしているのか、みんな知っていても、誰も言えません。そもそも今の政府は軍の基地内で発足したのです」

社会的地位があり、高齢だからか、彼は歯に衣着せぬ批判を続ける。「タイが発展しないのは、真実を認めない国だからです。今回の事件でも真実を追求する人はタイに居られなくなる。非常事態宣言が出たままで、これまでに逮捕された人たちは保釈金を払っても、釈放されていません。だから、プラティープさんは出頭せず、隠遁生活を強いられているのだと思います」

「教育では人は変えられない」

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『レッドニュース』を止められたビフン編集長・前上院議員は「国のシステムを変えなければ」と

「今回の流血デモは、権力を失いたくない独裁政権が選挙で勝てず、国民の力を怖がっているから起きたのです」。ビブン前上院議員(62)は、そう断言した。そして、タイが抱える問題は独裁で、民主的でないシステムに目を瞑っている限り、解散・総選挙は問題解決に繋がらないとも。ビブン氏にインタビューしたのはバンコク郊外の彼の自宅、瀟洒な欧風戸建てを訪ねてのことだった。

2000年から7年間、上院議員だった彼は文部省の教育委員会に属していた。28歳から5年間広島大学へ留学し、教育学で博士号を取っている。タイの教育行政は、幼児教育から大学、社会人の職業訓練に至るまで文部省に集中しているが、彼は関係省庁や175ある地方の教育委員会に分権すべきだという意見を持っている。人事移動やカリキュラム作成も中央の力が強すぎて能率が悪い。また、15人前後で構成されている各地の教育委員会も、教員ばかりで外部の識者が入っておらず、社会から隔絶ている。だが、上院議員は法案を提出できないので、結局何も出来なかったと虚しそうだ。

ビブン氏は私財を投じ、自ら編集長になって、2009年4月タブロイド判週刊新聞『レッドニュース』を創刊した。スローガンはタイが抱えている課題として「民主主義、自由、正義、平等」。大学教員ら政治に興味のある人たちがボランティアで寄稿。一部20バーツで、約2500の定期購読者のほか、全国420の書店に置き、計3万5千から5万部出ていた。一面の上下には「我々は国王を愛し、民主主義を守り、あらゆる独裁に反対します」と。だが、5月21日号を最後に休刊中だ。今回の非常事態宣言で、野党議員が私産を凍結されているが、ビブン氏もその一人。彼は『レッドニュース』が間接的に発禁処分にされたと解している。

タイには憲法があっても、誰も遵守していないので、ゴミみたいなものと、憲法の本をデスク脇にゴミ箱へ捨てる真似をする。クーデター後の2007年タイ憲法45条『メディアと国民の思想の自由』では「その自由を奪うために新聞や雑誌を廃刊させてはならない。政府はメディアに対して検閲してはならない」とあるが、「有事には、この限りにあらず」とも。97年の憲法も76県の代表が書くことになっていたが、実際は25人だけだった。つまり、憲法は市民ではなく、権力側の人だけで書かれていると訝る。独立機関である憲法裁判所の構成人員も、どういう手続きで選ばれているのか全く不透明。「今でも憲法の裏にあるのは、王室ではないか。ならば、軍が王室を守れないと何が起きるか予測がつかない」。教育学を学び「教育は人を変える」と信じてきた彼だが「やはり国のシステムを変えなければ」と再び立候補すると話す。

東北地方、ノンブァランプー県

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村から約50人がバンコクのデモに参加、青年一人が死亡。3回行ったチンタナーさん(中央)によると、報道にあるような「日当」はなく自発的に参加したと=ファイドゥア村で

一旦バンコクを離れ、タクシン派が多い東北へ空路向かう。東北地方の空港と言えば、ベトナム戦争時代の米軍基地をタイ空軍が引き継ぎ、民間はそこを間借りしている殺伐とした雰囲気の飛行場だったが、降り立ったウドンタニ空港もすっかり国際スタンダードの旅客ターミナルができていた。

ウドンタニ県の西隣、ノンブァランプー県では1996年に恐竜の化石が発見され、2001年には恐竜博物館がオープン、農業以外に観光産業を起こそうとしている。ちなみに「地方へ飛び火」と報じられた騒乱の一つはここの県庁で、1階部分の窓ガラスが割れ、吹き出した黒煙の跡が残っていた。実物大の恐竜のモニュメントが目を引く国道から未舗装の道を入った丘陵地帯に、ファイドゥア村はある。その地形から稲作はできず、かつてはトウモロコシとジュートを、10年位前からはゴムとタピオカを作っている農村だ。

村人のチンタナーさん(56)は、3月12日から10日間、3月27日と4月6日からそれぞれ4日間ずつ、バンコクでのデモに参加した。人口約2千人のこの村から約50人がデモに行った。この県からは3台の無料バスが走ったが、滞在費は各自持ちだった。東北からのデモ参加者は「日当が出ていて、動員されている」という趣旨の報道があったが、彼女は「日当」は受け取っていないし、自発的に行ったと言う。

デモに参加した理由は「民主主義と総選挙を求め、黄シャツの違法性が問われないダブルスタンダードを正すこと」だったと。2009年4月にバンコクでデモした時には冷たい視線を感じたが、今年はチャイナタウンで飲み物を、民主記念塔では各県別にテントを用意してくれたりして、バンコク市民が歓迎してくれたことに感動したと話す。 だが、この村からデモに参加した25歳の青年がプラトゥーナームの集会で、顔から頭を撃ち抜かれ亡くなっている。村で行われた彼の葬式には、村の総人口を超える約3千人が参列したという。「私たちは暴力を使っていない。政府はデモ隊から押収したと沢山の武器を展示するが、あんなに武器があったならば、政府側にもっと死傷者が出ていたはずですよ」。件の石油タンク狙撃事件の疑惑も持ち出して、暴力は政府側の工作によるものだと訴える。

チンタナーさんはタクシン時代が良かったと話す。『均一30バーツ医療』を実施、未電化地域には太陽光発電の設置、また『村資金』を市中の半分の金利、月利1%で融通してくれたそうだ。タクシン奨励の『一村一品運動』では、この村の商品が布と干しバナナだったので、あまり売れなかったが、「貧しい農民たちの味方だった」という。医療制度や村資金は現在も継続されているが、前政府の政策を踏襲しているだけだと。「タクシン政権の時の公務員は、税金で食べているのだからと真面目だったけれど、今は土地の名義を息子に変えようと役所へ手続きに行くと『そこに書いてあるから、自分でしろ!』と、病院に行ったら『声が小さい、聞こえない!』と嫌がらせに遭い、暗に賄賂を求められるようになっています」。登記簿の名義変更では埒が開かず、500バーツを払ったそうだ。

彼女は国王を今でも敬愛しているという。「ただ、今の国王には本当の情報が伝わっていないのが問題だと思います。以前は自らカメラを提げて地方を視察して回って、ダムなども造ってくれたけれど、今は一方からの情報しか入っていないのでは」。少なくとも、国王は現政府に利用されていて、中立を保てる状況にないと彼女は見ている。

チンタナーさん宅には、外国人ジャーナリストの来訪を聞きつけて、見渡せば10人を超す村人が集まって来ていた。この県は未だ非常事態宣言が解除になっておらず、5人以上集まる際には、事前に村長に届け出なければならない。だが、ウドン村長(65)もその中にいた。「私は伝えるだけで、それに従うかどうかは村人次第ですから、国との間で板挟みになることもありません」。村長選出は集まった村人の挙手で決めていたが、1990年からは身分証明書を提示しての投票制になったという。彼はその第一期村長で、もう4期20年務めている。ウドン村長は高血圧症の持病があるため、県庁前の集会には参加したが、バンコクへは行かず、裏方でまとめ役をやっていたという。

同じノンブァランプー県のクックワンソイ村では、村資金を元手に7年前に始めたフクロタケ栽培が軌道に乗り、村人は利益を村資金に預け、残高は当初の三倍、300万バーツになっている。干魃や価格変動に翻弄された東北も時流に合わせた新しい農業が定着したようだ。着ている服や乗っている車にも、80年代に初めて訪ねた頃の「寒村」というイメージはもうない。だだ、この村でも先行きに不安を感じていた。タクシン時代は国からの予算を村人が話し合って村で必要な事業に使えたが、今の政府になってからは「官僚が勝手に役に立たない職業訓練などに使っている」という。

地方の黄シャツ

ウドンタニの南、コンケン市内の商店街。『サーラーカオタイ=泰米堂』という米穀店を経営するジュンダバオさん(69)は東北に住んでいるが、黄シャツ派だと自認する。

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米穀店を経営するジュンダバオさんは、タクシンは私腹を肥やしたし、票を集めたからと正しいとは思わないと=コンケンで

「沢山票を集めたから正しいとは、私は思いません」。国の運営も利害か道徳かで割れている。票は金で買えるけれど、道徳は金では買えない。彼は赤シャツ支持の党が選挙違反で解党されたことが正しいという前提で話す。「赤シャツは、どんな結果でも良いから総選挙をと言うけれど、国政を任すのだから、そんな無責任なことは言えない」。米粒を掌に取って確かめられるよう、昔ながらに米を円錐形に盛った米袋の間で、洗い晒しのジーンズ姿の老人は話を続ける。

「タクシンは妻が土地を買う際に便宜を図ったし、地方では役所の車を払い下げする際にも公開入札にせずに私服を肥やす。代議士やそれに近い人はダムや道路の建設計画を先にキャッチして、土地を買って、安い木を植えて、土地代で稼ぐとか。タイではあちこちで不正が横行しているが、トップがあからさまにしてはいけない」

ジュンダバオさんは近くこれを売り出すんだと、ペットボトルに入れた「無農薬五穀」を持ち出してきた。頼れる年金制度もないからか、70歳を超えても新商品の開発に余念がない。「村資金そのものには賛成だが、代議士の仕切りで精米工場や倉庫といった箱物ばかりで、殆ど使われていなかったり。でなければ、一人に2、3万バーツずつ渡して、一体なにができるのか?携帯やバイクを買って、終わりじゃないか」。黄シャツ派に都合の良い話ばかりする彼だが、それが信奉者というものだろう。

コンケン工業会

タイの国民総生産は工業と商業が63%を占め、農業は17%。換金した統計では、もはや農業国タイとは言えない。ここコンケンの工業は、輸出用が7割で、世界のマーケットシェアNo.1の漁網を筆頭に衣料、靴、電子部品、製紙と続く。コンケン工業会によると、今回の動乱の影響は全くと言ってよい程なかった。

一族で日本車ディラーをやっているクンワシさん(50)は「政治の混乱は全く影響ありません。コンケンの車の売り上げは、ずっと右上がりです」と。彼の店では2008年の石油高騰が3、4か月影響したが、09年は1800台あまり、10年は半年で1200台を超している。車種は50万バーツ弱の1トン積みピックアップが55%、乗用車が45%の割合。頭金は0~15%で、最大7年ローンが組める。

「要は、食べられない人に食べ物を与えるか、食べ物の作り方を教えるかだが、タクシンは食べ物を与えた。それも、国家予算から。裏では石油会社の民営化・株式上場などで私腹を肥やし、貧富の差をなくすというのはポーズだけ」。冷房が効き、熱いコーヒーが用意され、泥どころか塵一つ落ちてないショールームにピカピカの新車が並ぶ。

「政治家の質が問われているが、それは国民の反映。『実績があれば、贈収賄は仕方ない』といった考えや、腹を空かせた子を連れた母親が万引きしても見逃されるといった社会が問題だ。我が社では例えば10万バーツの損益を出した社員がいても、それが事故ならば解雇しないし、弁償もさせない。しかし、横領ならば警察へ突き出しますよ。この国では最後まで追求せず、何でも中途半端。警察と検察、裁判所が機能しておらず、民主主義への準備が出来ていない。それまでは総選挙をしても意味なしです」

やはりコンケン市内でビデオプロダクションを経営しているワッパドンさん(39)も、タクシン派ではないが、自国民を辛辣に意見する。「タイ人は権利ばかり主張し、義務を果たさない。個人の能力よりも、コネや賄賂がモノを言う社会。脱税し、法の抜け穴を探してばかりの人が多く、今の政府も形だけ先進国の真似をしている」。上院議員になった友人も何もできない状態だし、議論するだけ無駄と言わんばかり、アナーキーな雰囲気を漂わせていた。

外国人にも分かる説明

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一旦手に入れた権利を奪われた貧困層が“爆発”したと、タクシン政権の総理府広報大臣だったスラナンド氏=バンコクのホテルで

バンコクに戻り、取材相手が指定してきた場所は、一流ホテルのロビーだった。豪華なインテリアや上質なサービスだけでなく、コーヒーの値段も東京と同じか、それ以上。混乱する政治や社会のシステムとの間に、発展のアンバランスさを感じずにはいられない。明治憲法時代の日本も欧米人相手のホテルはこんな風だったのだろうかと想像してみる。そんなロビーに現れたスラナンド・ベッジャジバ氏(49)は、タクシン政権の総理府広報担当大臣。アピシット現首相の従兄弟に当たり、今はPR会社を経営、『バンコクポスト』で毎週金曜に半ページ近いコラムを持っている。

「理解に苦しむ外国人に分かるように」という記者の注文に、彼はこう説明した。「都市と農村に大きな格差があるタイに、情報がどんどん入って来て、地方の人たちは自分たちには経済発展の波に乗ったり、社会進出するチャンスが殆どないと不満を抱くようになったのです。97年の憲法改正で彼らにもチャンスが与えられたのですが、06年9月のクーデターで一旦手にした権利を奪われたので、爆発したと言えます。タクシン時代も貧富の差は大きいままでしたが、とにかく一時は夢を持てるように思えたのです。それが再び将来が見えなくなった。しかし、今回の騒ぎは全てタクシンが絡んでいるというのは政府の曲解で、クーデター後の政権のダブルスタンダードに対する不満が大きいのも事実です」

今回の流血デモの発端となった赤シャツ側の政党解体の理由は、選挙違反。工作員は一人で百人から二百人の名簿を持っていて、一票100~500バーツで買っているそうだ。彼に拠ると、チェンライ選出のヨンコッ国会議長が犯した票の買収が糾弾されたわけだが、与党民主党も同じようなことをしていたが、立件されていない。「ダブルスタンダード」を指摘する人は多いが、勝てば官軍とでも言おうか、三権分立に問題がある。

不敬罪

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チャクリー宮殿を警護する近衛兵。王室が寵愛する近衛兵出身者が政府の要職に就くことなどにも国民の不満が

一連の事件の根には、王室の後継問題が落ち着かないことがあるというのが、タイのインテリ大方の観測だ。06年のクーデター以前からのことで、タイ国民も分かっている。そのなかでタクシン派は王室への配慮に欠け、歴代首相らで構成される枢密院にひっくり返されたというのが定説だ。

ちなみに、現在のチャクリー王朝ラーマ9世、プーミポンアドゥンラヤデート国王は1927年生まれで、2006年には日本の天皇を含め25カ国から皇室や王族を招き即位60周年を祝ったところだが、07年から入退院を繰り返し、国民の不安が高まっている。国王のカリスマ的影響力に翳りが出て、超法規的な解決が望めないのであれば、憲法に照らして民主政治を実践していく以外に道はなかろう。

黄シャツの葬儀に女王が出席した。アピシット首相が和解委員会や政治改革委員会を王室派で固めた。官僚のトップ人事に王室の意向が及び、陸軍司令官にも近衛兵出身者が任命された。タイ市民は長年、国王は中立と信じてきたが、今回『そうではない』と気付いたようだ。黄シャツが選挙結果を認めない最大の理由は、王室とその息のかかった面々が特権を失うことを恐れているからだろう。

当然タイにも憲法があり、もちろん裁判所もある。だが、タイには王室に対する「不敬罪」があり、改革を求める野党や市民の意見が結果的にでも王室派の既得権を減らす方向だと、それが適用される可能性があるのだ。加えて、令状なしに逮捕できる非常事態宣言が頻発される。

政権側にもいたことがあるスラナンド氏なので、この際、最も触れにくい不敬罪についても訊いてみた。「王室はずっと政治に利用されて来たので、気を付けないといけません。不敬罪の適用には明確な基準はなく、その人が権力側の友人知人であるかどうか、政権側に好かれているか嫌われているか、或いは、知名度の高低で決まったりします。私が逮捕されたらニュースになるけど、知名度の低い人は虐められる可能性があるので注意が必要です」。民間放送やインターネット新聞が弾圧されてもタイ社会は関心がなく、非常事態法が出ているので、如何ともし難い。「政府は裁判になれば、有罪にする証拠が必要となるから、非常事態宣言で何でも抑え込んでいるのです」

スラナンド氏がジャーナリスト個人として最も訴えたいことは、政府は死者が出たことに対して責任を取らねばならないということ。90数人が亡くなったが、誰が何のために殺したのかを明らかにせねばならない。また、パトゥムワナラム寺院(救護テントがあった避難所)で6人が銃殺された事件に軍部が絡んでいるという報道もあったが、それに関する政府の説明を求めたいという。「政府をチェックする様々な委員会があるが、その資格なしです。日本ならば首相はとっくの昔に辞表を出しているでしょ。国会解散・総選挙しかありません」と話を結んだ。

噴出したツケ

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経済成長と民主化の過程で「不正を正す」ことを避けて来たツケが噴出したと、スリチャイ所長=チュラロンコン大学平和と闘争研究所で

帰国前日、そろそろ纏めに入らねばと、20年以上に亘って様々な事象に解説を求めてきた社会学者に会いに行くと、彼も頭を抱えていた。「僕も分からない。タイの社会はここまで来ちゃった。将来が不安です」。スリチャイ・ワンゲオ所長(61)=チュラロンコン大学平和と闘争研究所は、現代における不安は普遍的なものだが、タイの赤と黄色は階級闘争なのかどうかを冷静に考えなければならないという。若き日に京都大学で学んだスリチャイ所長は、今も達者な日本語で話す。「これまでの経済成長と民主化の過程で、最も重要なことに触れて来なかったことが、今回噴出したと思います。それは『不正を正す』ということです。長期的には法の平等や富の分配、教育改革を指します」

メモを取りながら、彼の分析に耳を傾ける。タクシン一人が悪いのではなく、世代的なものです。タクシンは待てない性格で、加速化に乗って、やり過ぎた。衝突は予見できたが、赤シャツも一枚岩ではなく、誰にも止められなかった。赤シャツは悪くないと思う人が増えているが、手段を選ばず勝ちたいというのはダメ。なぜなら、それでは暴力社会になってしまうから。現政府が非常事態宣言を乱発するのも良くない。率直な話し合いが出来ず、暗殺事件すら起こってしまうから。

グローバリゼーションは都市と農村の格差拡大や階層化を加速させた。だが、グローバリゼーション自体は悪くない。GDPの6割が輸出という構造に頼ってしまい、取り残される人々が発生し、格差が拡がった。一部が潤い、その格差を政治家が逆手に取って利用するのが問題だ。一方で、人権や環境、生態系に殆ど考慮せずに発展したため、価値観が物質的になってしまった。

国王は憲法の上に立つので、やはり時代に合わせて変わっていかねばならない。国家統一は大事だが、王制が良いとは思わない。良い王がいることは短期的には良いが、将来的には危ない。国王が政治に利用されているのも健全ではなく、タイも王室は象徴的になる方向しかないと思う。

『スイカの兵隊』と『トマトの警官』

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漸くバンコクの非常事態宣言は解除されたが、再び混乱に巻き込まれるのを避け「国民のために働く政府が良い政府」と言葉を選んで話すプラティープ前理事長・前上院議員=2010年12月29日、福岡県うきは市の夫の実家で

2010年11月、プラティープさんは5月のうちに日本に来ていたことが、財団から日本のサポーターに向けた会報メールで判明した。夫と第二子が住む日本なのだから、さもありなんとも思ったが、逮捕状が出ている身で、出国手続きなど自首するのと同じ。来日は不可能と思っていただけに驚いた。一体、どうして来られたのだろうか。タイのメディアにも出ていなかった消息だ。10年暮れ、首都バンコクなど4県で最後まで延長されていた非常事態宣言が解除され、平素からある治安維持法だけになった。非常事態法に違反した容疑で出されていた彼女の逮捕状も取り消されたそうで、これを機にようやく彼女と会えることになった。

福岡県うきは市の夫の実家で11年の正月を迎えようとしていたプラティープさんは、日本の冬の寒さに室内でも毛糸の帽子を被っていた。「あの時、夫が大丈夫かと電話をくれ、今からバンコクに来ると言ったのですが、私が日本に行きますと。だって、夫の下が一番安全でしょ」と、プラティープさんは悪戯っぽく笑う。続けて、謎の脱出について聞く。「タイでは『スイカの兵隊』や『トマトの警官』という表現があるんですが、彼らが『プラティープ先生を逮捕せよという命令が、もうすぐ出るから』と言って、私を安全な場所へ避難させ、空港でも彼らの誘導ですんなり出国できたんです」。見かけは緑のスイカだが、割れば中は赤い。トマトは表面も中も全て赤い。警察や軍にも現政府に面従腹背のタクシン派や赤シャツもいるということ。「来日して暫くは、タイ大使館などが手を回し、日本政府がビザを取り消したりしないかと不安でした」と話すが、幸いそれは杞憂に終わっている。

「貧困層の底上げ政策を実施したのはタクシン政権が初めてでした。しかし、タクシンの政府も含めて、どの政府も腐敗してます。私は不正や暴力が大嫌いなので、皆は思っているかも知れませんが、タクシンの支持者でも、赤シャツでもありません」。プラティープさんは自分の立ち位置をはっきりさせた後、こう言った。「ただ、これまで何代もの首相と付き合って来ましたが、私にとって良い政府とは国民のために働く政府なので、どの政府が一番良かったかは分かっています」。このまま日本に定住するのではなく、2011年1月中旬には帰国して、財団の仕事に戻るという彼女。再び混乱に巻き込まれるような発言は注意深く避けた。

国民性

割愛した人たちも入れると、今回タイで相当数の人に話を聞いたが、逆に、タイ人の友達が口癖のように言う「敢えて言えば、熱帯だから」という振り出しに戻ってしまったような気がする。プライドが高く、愛国心が強いというだけでは説明がつかない熱帯の熱い血。明日の生活ことなど頭にないかのように突進し、過去に執着しないタイ人気質。生活には代えられないと躊躇してしまう日本人の目には羨ましく、同時に向こう見ずにも映る。そんな国民性でなければ、今回の動乱でも2000人という死傷者は出なかっただろう。

タイには燃料や気密性の高い家がなければ凍死してしまう冬は来ず、国土の大半を占める平野と南に拡がる海の恵で餓死もない。元来そんな豊かで暮らしやすい土地だから、おおらかな相互扶助の精神もあり、多くの蓄えや安定した収入がなくても、厳格な契約概念がなくても、なんとか喰いつないで行ける。

物品や人間、情報がタイと温帯の国々の間を短時間に大量に往き来し、そのどれもが双方の価値観を含んでいる。それでも、やはり国民性は気候と国土の豊かさから切り離せないのではないか。温帯の国々が最良と採用している民主主義というシステムはタイに根付くのだろうか。全く同じ繰り返しや逆戻りはあり得ない。ならば、どんな形で根付いていくのだろうか。今後も取材を続けるしかない。

(文・写真/阿佐部伸一)

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