阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

ビルマ(ミャンマー)民主化の行方1995年8月

「解放」の理由

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自宅軟禁を解かれ、自宅の門越しに演説するアウンサン・スーチーさん

今年七月十日、アウンサン・スーチー前国民民主連盟(NLD)総書記(50)が六年近い自宅軟禁から解放された。 だが、あの民主化デモから七回目の八月を迎えたラングーンは、不気味なまでに沈黙し、ホテル建設の槌音だけが響いていた。

河野洋平副総理・外相は解放の夜早々に「ミャンマーの民主化、人権状況改善における重要な前進として歓迎する」と 談話を発表した。今年三月の十億円の食糧増産に続き、看護教育施設への無償援助を今年中に行うことを決定し、八八年以降凍結していた 空港や灌漑、配電、通信など八つの円借款事業の再開検討も始まった。また民間企業も、東京銀行と富士銀行の駐在事務所開設、 大和総研の証券会社設立、三井物産の大規模工業団地建設や総事業費六百七十億円のヤダナ沖ガス利用プロジェクトなど、相次いでビルマで の新規事業計画や軍政との合弁事業の調印を発表している。

民間投資はアセアンや欧米の企業に比べて出遅れたが、二国間援助では、米政府が共和党の圧力にも慎重な姿勢を崩さないため、 八八年以前もその八割を占めていた日本のODAが再び独占する形勢だ。

日本政府は「制裁」の“北風”より、「援助と対話」の“太陽”の方が功を奏したと自画自賛しているが、ビルマの長老ジャーナリスト、 セインウイン氏(73)は解放の要因を、次のような順位で挙げる。[1] 軍部が市民はもう立ち上がらないという絶対的自信を得た、[2] 歳入が十億ドル以下と見積もられ、経済開発が緊急に必要である、 [3] 彼女の刑期延長に必要な法改正を不名誉と軍部が自覚した、[4] 援助国や貿易相手国からの外圧。「外圧」は四番目である。 国外へ逃れた民主派学生が組織する全ビルマ学生民主戦線のアウントゥー書記長は バンコクのアジトで、「もし軍が本当に民主化を考えているのなら、全ての政治犯を釈放し、政治活動を許可し、でたらめな国民会議を取り消す べきだ」と述べる。実際、軍政が総選挙の結果を反故にして別に招集した国民会議には、三百九十二人のNLD当選議員中九十人程しか 参加しておらず、そこで軍部の永久支配を保障する憲法草案が今年十月にも書き終えられようとしている。

国内では未だに政治活動はもとより、女性のミニスカートまで禁じられ、市民は声を潜める。ある女子大生(21)は、 学生たちはもちろん民主化を望んではいるが、就職が差し迫った問題で、政治運動が起こって再び学校が閉鎖されることを恐れているという。 ある歯科医(27)は「国が良くならないので民主化運動は必要だが、私は政治には係わりたくない」。通訳(25)は 「政府系出版物だけになったから検閲もないのであって、以前よりタチが悪い」と。雑貨店主(46)は「言いたいことは山ほどあるが、 みんな投獄を恐れています。私も子供が二人いて…」と声を震わす。

五年間投獄され、三か月前に解放された民主派の地下活動家(36)と密会した。彼が直接知っているだけで、 まだ百人以上の政治犯が獄中にいる。入所五日間は一日水一杯しか与えず、蛆の湧く汚物池に放り込んだり、電気ショックをかけたり、 マッチの軸で鼓膜を破ったり、意思を挫こうと残虐な拷問を加えているという。 また「服役中、以前と違って私の家族を誰もサポートしてくれませんでした」と、 国内に支援者がいなくなったことにショックを受けていた。数年前と比べても民主化は後戻りしたようにさえ感じる。

対立

スーチーさんは「私の解放だけで、民主化が進んだわけではない。日本はODA再開を急ぐべきではない」と、 日本人記者を通じて主張し、田島高志駐ミャンマー大使にも慎重な対応を求めている。記者会見では「市民の間には民主化よりも、 雇用増やインフレ抑制など生活に直結した訴えの方が多いようですが…」といった外国人記者の質問に、スーチーさんは「市民って、 一体だれに聞いたのですか?率直な発言が歓迎される国ではないのです。あなたの通訳はどちら側の人かしら」と反論した。 自宅前集会では「皆さんの願いを手紙で教えてください。途中で読まれても届けば構いません。 あの人たち(軍部)も少しは勉強になるでしょうから」と軍部の検閲を皮肉る。 「対話こそが速やかな問題解決のカギ」と彼女は解放直後に語ったのだが、彼女の舌鋒は鋭くなる一方だ。 援助再開は時期尚早と外国政府や国際世論に訴える彼女と、解放以来の沈黙を破って九月八日「馬鹿げた危険な主張」と 彼女を批判し始めた軍部の間に接点は見えず、その「対話」は未だ持たれていない。

彼女の演説を聞きに来る市民が次第に減ってきている。NLD支持のある弁護士(52)は「市民はあそこへ行くだけでも勇気がいる。 この調子だと、聴衆は外国人だけといった皮肉な結果を招くかも知れない。 軍はそうなることを期待して耳の痛い批判でも聞き流しているのだ」と危惧する。「彼女は既に内外の支持を得て、議員の中にも支持者は多い。 一歩退って後ろから民主化運動を支えることも可能だ。なのに、あのように正面からぶつかっては再逮捕もあり得るのではないか」とも。

一方、ネウィン時代の外相で、現在も軍政支持の国家統一党幹部のチッレイン氏は「本人には喜ばしいことだろうが、 さて国にとっては良いことか悪いことか…」と言う。彼女は六年経っても「円熟していない」とし、 門前集会などの“特権”は彼女だけに許されるものではないと苦々しい表情だ。やはり体制派のタマン元統一開発党副代表は、 いかなる国でも民主化の前に経済開発が必要で、ジャンプ出来ないと主張する。十九世紀末の日本やドイツを引き合いに出して、 民主主義は草の根からではなく、政府が市民に与えたものだとまで言う。この二人は軍政支持の理由として、 複数政党制と市場経済の採用を挙げる。が、ビルマ独立以来、NLDを含めて政党はその志半ばで悉く分裂したが、 国軍だけはいつの時代も団結を守り、国の崩壊を防いだという評価が最大の理由だろう。

団結は

解放一か月の記者会見には、投獄を免れ国民会議にも出席しているNLD幹部たちが同席し、 彼女も「幹部間に意見のくい違いは全くない」と“一枚板”の団結を強調した。だが、投獄されたり、 国外へ逃れたりして一方的に除名された議員や党員の殆どはNLDに復帰していない。 また、国内の非合法組織や海外シンパとは殆ど連絡が取れていない。
日、米、タイなどの在外民主派組織もこの数年間で仲違いを起こし分裂している。また、NLD支持を旗印にビルマ民主連盟を結成し、 軍政と戦ってきた十六の少数民族勢力のうち、カレン民族連合を除く十五勢力が既に停戦協定に応じている。 今年六月末停戦したモン族のリーダー(67)は、団結して政治的解決に臨みたいが、NLDからの連絡は未だないという。 民主派勢力は分断され弱体化している。

妥協

それでも総選挙後も残った十政党のうち民主派はNLDだけ。民主化を待望する市民が寄せる期待は大きい。 かつてはネウィンの右腕として国防相も務めた大物政治家で、民主化デモを支援したかどで五年八か月投獄されていた ティンウNLD前議長(68)は八月十二日、「我々は九〇年選挙の結果を名誉的なものと位置づけている。 新政府を当選議員だけで構成することに固執はしない」と、軍政へ譲歩する用意があることを漏らした。 「そうしなければ、振り出しに戻るだけだから」という。

数万人が投獄され、安全と自由を求めて人材流失は加速し、諸外国からは経済制裁を受け、 結果としてビルマは後発開発途上国から抜け出せなくなってしまった。そんなジレンマがNLD内の実力者にも妥協を強いているのであろう。 このままでは、「非常時」の軍部介入を合法とする新憲法が施行され、民政移管は形だけのものになる形勢だ。

展望

アジア政治の専門家で、米政府の外交政策顧問も務め、 今も影響力を持つジョン・バッジリー前コーネル大学教授に八月二十三日聞いた。 「こちらにはアセアン入りを認めるというカードがあるが、彼らはその札を決して引かないだろう。彼女の解放にしても、 日本の債務帳消しや、米議会の経済制裁棚上げが功を奏したのではない。大事なのは、彼らの顔を潰さないこと。 子供の過ちを非難しないように。彼らのプライドと、こちらの経済的優位性の駆け引きなのです」。

民主化前に中産階級を形成する経済開発が必要という議論に対しては、「ビルマには読書が好きな人が多く、 BBCやVOA(欧米の短波放送)を聴く人口も格段に多い。八八年以外にその存在をアピールする機会がなかっただけで、 “隠れ中産階級”が既にいる」と、他の途上国との違いを指摘する。

軍部と彼女との対話については、「特に前線で多くの人殺しをしてきた将軍たちは、この四十年間は一体何だったのか、と思い始めている。 子供たちに祖国の開発に尽力した立派な人間と見られたいと思っているからだ。あの血みどろの事件を悔やんでいる軍人たちは、 頭を下げてでも民主派勢力と和解の糸口を見つけたがっている。それがいつかは判らないが、将軍たちは非常な愛国者だから、 ここ数か月うちのIMFや世界銀行のビルマ訪問には間に合わせるに違いない。一方、彼女は常に人権を最優先するだろうが、 九月からは経済重視の発言を始める。雇用増やインフレ抑制、教育、医療を通して人権擁護を訴えるようになる」。彼は八月中旬、 彼女に会っている。実際、九月二日には日本の新聞社の取材に、彼女は経済面からの人権改善を訴え始めた。 彼女のこうした意見が経済開発を急務とする軍人たちと噛み合えば、彼女が戻ったNLDが今後もビルマ民主化の推進役となるだろう。

バッジリー氏はこうも言う。「彼女は祖国に留まり、ビルマ人になることを決意している。 それは仏教徒として功徳を積むことを意味している。ビルマ仏教における『メッタ(慈悲)』は、彼女にも軍人にも共通する優しさであろう。 お互い過去は過去とし、対話へのビルマ式接点を見いだせれば…」

国内で意見できるのはスーチーさんだけ。一般市民なら投獄されたきり、世界の目も届かない。また、今のビルマ市民は、 内側に向かって何本もの針が突き出している箱の中に閉じ込められているようなもの。軍政に圧力をかけるのは自由な我々の義務だが、 その箱の内側にいる市民たちが拷問されたり、家族が悲しみ、一家が路頭に迷うようなことを避けるには、 その力のかけ方に細心の注意を払わなければならない。

◆ビルマ民主化闘争略年表

(文・写真/阿佐部伸一)

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