阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

台湾、香港、イギリス、日本神戸港の変遷を見守る メリケン地蔵と角本船長2024年9月

第38回メリケン地蔵盆

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再度山大龍寺の僧侶たちが経を上げるなか、メリケン地蔵に掌を合わせる参列者たち=神戸市中央区のみなと公園で、2024年8月25日
 ビデオの中で語られる「はしけ(艀)」が神戸港のメリケン波止場にひしめいていた頃、冒険好きな子どもだった小生にはこんな思い出があります。

夏休みだったか、外国航路の貨物船を見に行くと、インド人の船員が船内に招き入れてくれ、本場のカレーをご馳走してくれたのです。「インド人もびっくり」という即席カレーしか食べたことがなかった小生は、クミンと生姜がものすごく効いた粘り気がないカレーとパサパサした長粒米を今も忘れていません。赤さびが浮いた船体に沿って下ろされたタラップや蹴躓きそうになった水密扉、甲板から高曇りの空に聳えていたクレーンも。

『メリケン地蔵と角本船長』を作った理由は、実は小生、20代に新聞社の神戸支局に2年ほど勤務したことがあったからです。角本船長はよく支局に顔を出してくれ、港関係のネタを提供してくれたものでしたが、このお地蔵さんに動きが出る神戸港開港120周年の1987年には、すでに大阪本社へ異動となっていてインドシナ難民などの取材に忙殺されていました。

新聞社は34歳で中途退職し、東京で雑誌やテレビの仕事を6年、その後は福岡のテレビ局に20年。定年退職して故郷の関西へ戻りましたが、神戸は四半世紀以上ご無沙汰していたのです。その間には物流の中心がコンテナ埠頭へ移ったり、臨港線が廃止されたり、また、阪神淡路大震災を機にインフラの再構築もあり、みなと神戸は大きく変貌していました。

ことほどさように個人的興味が先立ったのですが、数十年ぶりに再会した角本船長はもう80歳。結局一度も取材していなかったメリケン地蔵を、2024年の地蔵盆を機にきちんと振り返っておこうと思ったしだいです。若い方にとっては初耳の情報もあるかも知れません。お時間が許す方はどうぞご覧になってください。

(文・写真/阿佐部伸一)

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