カンボジア波乱の自由経済2006年8月
GDP伸び率、13%!?
「政府が2005年度の経済成長率を13%と発表して、本当か?ってことになってるよ」。カンボジアの旧友から今年、こんなメールが来た。アジア開発銀行の統計の2倍以上である。新政権発足以来、情報省に勤める官僚がいうのだから、その急成長が本当かどうかは別にして、発表したのは本当だ。
メールを受け取る前、日本で四千円という安さが魅力で買った紳士物ビジネスシューズが、中国製と思いきや、「MADE IN CAMBODIA」だったことに驚き、実はカンボジア経済に焦点を当ててみたいと思っていた矢先のことだった。
その靴を履いて首都プノンペンへ。この国には2001年以降、台湾や中国などの資本によって25の靴工場が創業し、そのうち14がいまも創業している。その中に日系企業はないが、輸出先が日本というミンダ履物工業を訪ねた。台湾系オーストラリア人の揚瑞達副社長に案内された工場は、度肝を抜く規模だった。製造ラインが8本あり、工員は約3,400人、年間100万足を生産しているという。
月給は熟練度の応じて45ドルから80ドルと、教師や警察官といった公務員の倍近く、政府発表の高度成長も、なまじ誇張ではないのではと思う。「給料はお母さんに全部渡しています」と照れ臭そうにするのは、プノンペン市内に住む17歳の女性工員。プレイベン州から出稼ぎで来ている男性工員(28)は、「ここの仕事は汚くないし、楽ですよ」と笑みが零れる。確かに、ゴミ一つ落ちていないフロアーに整然と並ぶライン。天井では直径1メートルもありそうな換気扇が廻っていて、ゴム糊特有の揮発臭も気にならない。
インチキ商品取材にも無警戒
だが、「これは日本の卸売業者からの注文です」と、揚副社長が自慢気に持ち出してきたサンプルは、スニーカーの外側に「るこっくすぽるてぃふ」と平仮名が印刷されていた。これはフランスの高級ブランドで、本物はアルファベットの小文字ばかりで内側に記されている。その業者が南はシンガポールから北は韓国まで6、7カ国へ輸出していて、メードインカンボジアと入れるかどうかは指示しだい、用意されたロゴを入れたり、箱詰めにしたりすることもあるという。
揚副社長の警戒心も悪びれた様子もない態度に、この際、以前から気になっていたプノンペン市中で免税店より安く手に入るスコッチウィスキー『ジョニ黒』を現地の友達たち数人と一緒に飲んでみることにした。国際空港の免税店が25ドル前後で売っている『ジョニーウォーカー・ブラックラベル』1リットル瓶が、市内の酒店では18.5ドルだった。政府が関税や酒税を徴収できていないからとしても、免税より安いというのは不思議。
往路空港で買ってきたものと飲み比べてみると、「味が違う。プノンペンのは辛い」と全員の感想が一致。「ニセモノだろう。どこから?」とわいわい言いながら、二本の瓶を手にとって見比べていると、”大発見”があった。箱もラベルも色や書体はもちろん、紙質まで区別が付かないのに、型ガラスでレリーフになっているジョニーが、プノンペンで買った方は逆、ちょうど鏡像のように、右へ向かって歩いているのだ。わざと一カ所だけ明確に変えて作るのは、コピー商品ではなく、最初から別物だと言い逃れするためだろう。
偽ブランドに、学位の大安売り
日本では『関税定率法』第21条で、知的財産権を侵害するコピー商品などのニセモノは輸入が禁止されていて、『関税法』第109条では、「ニセモノを輸入した者は、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金に処す、又はこれを併科する」と罰則もある。
戦後まだ15年、国家予算の半分を外国援助に頼っているカンボジアでも、世界的な自由経済の下では特別扱いされない。手っ取り早く利益を生もうと、或いは、背に腹代えられず、輸出入にもまがい物が目立つ。電器屋では日本製と見紛う『ITACHI』や『Nasonal』、『Sanzyo』といったロゴが付いた扇風機が並び、『SONY』のビデオCDデッキが45ドルで売られている。ロゴの書体は精巧だが、簡略な取扱説明書にはサービスセンターの記述はなく、無論メーカーの保証書などは付いていない。本物の日本製は少数で、値段は2倍以上に跳ね上がる。大卒エリートの月給が200~300ドルのこの国では、コピー商品でも安くはない。
人民党の外交・国際協力・情報委員会の議長のソンチャイ国会議員は、カンボジア経済の発展には、まずは人材育成が不可欠なのだが、政府には資力も人材もなく、民間主導になっているという。「プノンペンには私立の大学がたくさんできましたが、修士や博士の学位が300ドルから500ドルで売られているのが現状で、私は本物の教育機関が来てくれることを望みます」
人材育成に日本のODA
ならばと、日本のODA(政府開発援助)で今年2月、王立プノンペン大学のキャンパスにオープンした『カンボジア日本人材開発センター』を訪ねた。起業家育成と総合経営の2コースを用意しているそうだが、開店休業状態のように見える。この日、開講していたのは、文化交流のおりがみ教室と日本語の授業。どちらも盛況で、日本語や日本文化を学ぼうとする若者が増え、隣国でしか受験できなかった日本語検定試験が今年からここで受けられるようになった。日本語には中級準備と中級、観光科の3コースがあり、1コース当たり月謝は15~20ドル、20~30人が週3回受講している。しかし、3人いる日本語教師のリーダー、セアン・ニモールさんは、生徒の就職が難しいという。「卒業生のほとんどは日本語教師になります。他に仕事がないからです」。生徒たちは日系企業で働くことを希望しているのだが、頼みの日本企業は今のところほとんど未だ進出してきていない。
同センターのコースマネージャーに就いたプノンペン大経済学修士、イン・レン氏によると、5年目以降はカンボジア側だけで自立運営という目標がある。だから、オープン当初の記念講演などは講師を日本など外国から招聘したが、常勤講師はカンボジア語で講義できるカンボジア人が理想。だが、国内では講師の人材も不足している。また、受講生にとっては、3か月で180ドルという授業料が敷居を高くしているようだ。「他の機関と連携して、受講生集めのために広報に力を入れる必要があります。カンボジア人講師も新聞に求人広告を出しています」と、イン・レン氏は早く軌道に乗せるべく手は尽くしているようだ。
巨大建設現場の陰で
街ではコピー商品の他に、建設現場が目立つ。プノンペン大のキャンパス内に人材開発センターができたのと同じ実学を重んじる方向性なのだろう、戦争孤児にクメール舞踊などを教えていた王立プノンペン芸術大学も取り壊され、いま中国系カンボジア人が9階建て140室のホテルを併設する『唐城』という巨大ショッピングセンターを建設中だ。7万ドルする店舗は、完成前に92店すべて売れている。ヘルメットも被らず、鉄筋を素手で掴んで屋上に運び上げていたのは、ソム・チアさん(29)=プレイベン州出身。村では今年干ばつで田植えができず、妻子を残して2週間前、プノンペンへ出てきたという。「そりゃ、勉強もしたいし、何か手に職を付けたいけど、喰うのが精一杯で…。日当は2ドル。きついですよ」。剥き出しの水道管でシャワーを浴び、型枠の切れ端を薪に飯を炊き、建設中の店の中で寝起きする毎日。
農村に貨幣経済が浸透する一方で、森林は伐採されても、灌漑施設は建設されず、出稼ぎや離農者は増える。それでも、彼らは統計上農民ということで、低賃金労働者や失業者に数えられることはない。カンボジア開発研究所のエコノミスト、カン・チャンダラロット氏は、政府発表の高度成長に疑問を呈した。「この国の統計は、母集団が曖昧なので、私は信用していません。13%などという数字は、大きなインフラが整うか、天然資源が産出され始めた年でなければ、あり得ません。ご覧のように、この国の経済構造の変化は遅々としています」
自由経済が世界中に浸透する現代、後発途上国が発展するためには、保護政策など採っておれず、かといって、まともに勝負して利益を上げられる隙間はない。翻弄されながらも、したたかに生きていかざるを得ないのであろう。人々の暮らし向きが、凸凹はあっても、押し均べると、内戦時代よりも良くなっていることが救いだ。