阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

タイ公害輸入1993年4月

圧力

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不良品のIC基板が打ち捨てられる工場横の野原=バンターカム村で

一九九三年四月二十一日、午後八時。バンコク・ドンムアン国際空港の雑踏で、欧州へ会議に出かける「サイアム環境クラブ」代表のチュラロンコン大学スラポン・スーダラ教授を捕まえた。「日本を含む外国企業の進出で、水俣病のような患者が国内でも見られるようになった」。九〇年三月東京で開かれた国際フォーラム「日本の公害輸出と環境破壊」で、彼がそんな発言をしていたからである。

九二年七月マレーシアの日系企業が住民への健康被害を理由に、裁判所から操業停止を命じられ、日本からの「公害輸出」が批判された。が、八百社以上の日本企業が進出し、まさに日本の生産基地と化すタイでは、不思議とそうした事件は聞かれない。タイへやって来た記者の質問に「手元に資料がないので……」と、スラポン教授は具体的な地名などは一切言わない。チェックイン後も懲りずにVIP待合室までついて行くと、ソファーで軍支持派の国民党議員たちがスコッチを舐めながら、彼を待っていた。だが、教授の言葉で、一つだけハッキリ聞き取れたことがあった。「人が死んでゆくのを見て、同情のかけらもない。それでも人間ですか? 南北に別れていては、アジアの発展はありません」。

その夜グラスを交わした日系企業のタイ人社長(43)は、日タイ合弁の実態を話してくれた。「タイ側は、合弁の相手からとは判らないように、間接的に借金するわけです。実際の出資率は日本が九割、タイは一割なんてのもありますよ」。投資法ではタイ資本化するため、タイ企業が五十一%、外国が四十九%となっているが、もし彼の話の通りなら、公害対策を含め主導権は日本側が握っていることになる。

翌二十二日朝、チャオプラヤー川対岸の工業環境分析センターを訪ねた。アポを取っていた幹部は、昨年六月、国連環境開発会議に提出したレポートを見せた。だが、公害発生の場所や原因には、またも口を濁す。食い下がる記者に「調べて午後、ファックスするから…」と。現地生産の日本製ファックスから吐き出されたのは、近年創刊された経済紙の記事であった。

発信人の名前や、手書き文字はどこにもない。政財界とのいざこざに巻き込まれることを、注意深く避けたとしか思えない。

開発の村

経済紙の見出しは「工場近くの小学校で鉛中毒」。同紙によると、六十人の児童の血中鉛濃度を検査したところ、三十人が基準値(百ml中二十二.六八μg)を上回り、うち五人が治療が必要とされる四十μgを超した。近くには電子部品の「テレテック」とバッテリーの「ロケット」の二工場があるが、「工場にはしかるべき処理施設があると、工業省は因果関係を否定」と結んでいる。二十三日早速、バンコクから国道三号線を南東へ約七十キロ、その現場であるバンプラカン郡バンターカム村へ車を走らせた。

白亜の事務所棟が国道に面するテレテック。村人たちはもっぱら「ジープン(日本)」の工場という。南側の空き地で、無造作に捨てられた無数の電子基板を見つけた。どれにもフェルトペンで「NG」と不良品の印が。白い印刷で「MADE IN JAPAN 」、そして日本を代表するメーカーの名もあった。だが、登記簿によると香港資本。孫請けのような間接合弁であろう。

夏休み中だったが、小学校では算数の補習授業をしていた。「チョコレートのような臭いの雨が昨日も降りましてね……」。ワンナー先生(39)は、鼻の奥が痛んで、息苦しくなり、吐き気を催したという。これが電子部品の有機塩素系洗浄剤が漏れ出しているせいかどうかは、まだ判っていない。

が、そもそも鉛による地域汚染が発覚したのは、九二年十八人の教諭のうち、四人が相次いで身体の不調を訴え、揃って病院へ行ったところ、全員が鉛中毒と診断されたからだ。子供たちが心配になった学校側の要請で、厚生省は全児童三百三十人中、昨年十一月に六十人、十二月に三十人に対して血液検査を実施。その経済紙が報じたところとなった。「全員を診察してと頼んだのに抜き取り検査だったし、処置や予防法など何も教えてくれませんでした」と、ワンナー先生は不満そうだ。二人の先生はビタミン剤と牛乳を飲み続け、深刻な値が出た子供たちは、痩せて肌が黄色くなっているという。

十七年間同校で教えている彼女は、村に工場が出来るまでは、検査することもなかったが、こうした健康被害もなかったという。「だいたい学校の隣に工場を建てるなんて、どういうつもりかしら」と怒りを露にした。学校の西隣にテレテックが操業を始めたのは三年前。寺院をはさんだ南隣の韓国系工場、ロケットは一年半前からだ。学校も家々も、飲料水は天水に頼っている。「気味が悪くって、私は瓶詰の水を買っているんです。子供たちには内緒にしておいて下さいね」と、ワンナー先生は申し訳なさそうに打ち明けた。

補習に来ていたパープン君(12)が、ガイドを買って出てくれた。母親は村内にある台湾系自転車工場に勤めていて、帰宅しても誰もいないという。まずテレテックの排水口に向かう。校舎の裏へ回ると、三メートルはあるコンクリート塀から五棟の屋根だけが覗いている。少年は草むらのオジギソウに挨拶するように優しく触れながら、塀に近づいて行く。彼もときどき咳き込む。「先月、池で魚がたくさん浮いているのを見たし、変だよ。しんどくて三日も学校を休んじゃったんだ」。塀沿いには、ここがまだ農地だった頃からの素掘りの水路が残っていた。彼が指さす茂みから、ちょろちょろと排水の音がする。水面には鈍く光る金属膜が浮き、岸のマングローブは幹だけになって枯れていた。

血中の鉛が最高値だったヴィチン君の家へ案内してくれた。タピオカ工場前、廃材のトタン貼りの長屋が、その同級生の家だったが、無人。隣家によると、父親とパイナップル農園へ出稼ぎに行っていて、始業式まで帰ってこないという。二十九μgだったチャリアさん(13)に、引き合わせてくれた。「先週もだけど、あの臭いがしてくると、いつも頭が痛くなるの」。彼女の母親はパープン君の母と同じ自転車工場へ。部屋の真ん中にデンと置かれた日本製冷蔵庫が嫌に目立つ。彼女に症状を一つ一つ確認してゆくと、歯ブラシで突いたりしていないのに出血するという。十二月には二回目の検査も受けたが、その結果は知らされていない。

チャリアさんの母親(50)は、テレテックで昨年末まで二年間、掃除婦として働いていた。「あの工場は臭くて、頭痛がするから、お母さんは辞めたのよ」と、娘は言った。しかし、夜帰宅した母に直接聞くと「工場内はきれいですよ。辞めたのはパートだったから。今の自転車工場の方が仕事はきついけど、給料は上がりましたし」と話は食い違う。彼女は三年前まで夫と二人、ヤシの葉で屋根材を編んで暮らしていた。が、そのヤシの生い茂っていた土地には、この年「ロイヤル・レークサイド・クラブ」という日系ゴルフ場がオープンしたのである。タイのゴルフ場は既に百四十、翌年には百八十か所に達する勢いだ。彼女は自宅でできて定年がない屋根材作りの方が好きだったという。「子供たちの身体に鉛が入っているなんて、驚いたし、悲しいことです」と、母親は気持ちとは裏腹な東洋人独特の笑みを浮かべた。

日系ゴルフ場から家路につくキャディーさんたちと会った。「チップを入れると、一日三百バーツ(一バーツは約四.五円)にはなるわ。土、日曜は倍よ」と、ここで働くことに満足しているという。客の七割が日本人。「農薬は使っているわ。そうね、時々痒くなるけどマイペンライ(大丈夫)よ」。ちなみに、現在タイの公務員の大卒初任給は五千二百バーツ程である。

ロケットから南へ、先月魚が浮いたという池の岸を歩く。水は赤茶色。プランクトンによる色とは違う。まるで、火山に湧き出す温泉池のようで、生物の気配が全くない。村の南端を流れるバンプラコン川に近づいて驚いた。ゴルフ場との間にエビの養殖池が並び、川岸では生簀でスズキのような魚を養殖をしている。ここで漁業を営むのは約五十所帯。三十歳の漁師が近況を話してくれた。「売りに出すまでに、まあ十%死ぬのは当たり前。でも今年は異常だ。二十%ずつ二回も死んだんだ。二十万バーツ損したさ」。彼は上流約一キロにある発電所の温排水が原因だと訴え、電力公社と交渉中という。工場やゴルフ場の排水との因果関係を疑うだけの公害知識はないようだ。

テレテックで丸二年工員をしている二十歳の娘は「あそこで働くのは楽しいわ。友達も沢山いるし、お給料もなかなかだもん」と屈託がない。日給で百十三バーツ。彼女は夏休み中だったが、工場は日給半額を払ってくれていると、嬉しそうだ。彼女の職場はテレビの組立。空調の効いた大部屋に四ラインがあり、若い女性ばかり百二十人が働いている。だが、規則は厳しく、自分の担当場所以外は立入禁止だそうだ。「二、三カ月に一度だけど、停電すると電気溶接ような、何かが焦げたような臭いが充満して、ふらふらになったことがあるわ」と、彼女も閉口していた。

タイで医師が鉛中毒を報告したのは、一九五二年に肢体不自由になった三例が初めて。急増するのは八〇年代に入り、外国企業の投資が激増してからである。八七年には鋳造工場の百八十二人が、九一年には電子部品工場の三百五人が医師により確認されている(ベンチャワン、メータディロクン両医師)。

二重基準

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2サイクルエンジンでより速く、より安く。排気ガスと爆音をまき散らして疾走するトゥクトゥク=バンコク市内で

天使の都バンコクは今や、東南アジア最悪の自動車公害都市でもある。九二年にサシティモンクン、メータディロクン両医師がバンコク中央署の警官二百六十四人を対象に調査したところ、血液の鉛が百ml中二十μg以上が九.一%、二十五μg以上が七.六%に上った。また、胸部レントゲンで十八%に、肺機能で二十%に異常が見られた。

バンコク、サヤームスクエアの交差点。信号が変わる度に凄まじい発進音で話が出来ない。「風がない日は、偏頭痛と吐き気に襲われるんだ」と、ニムウアン巡査長(26)。彼らは一日三交代で、一カ月ごとに駐在する交番が変わる。年間四か月は、こうした排ガス真っ只中の勤務となる。中央署はマスクを支給しているが、エンジンの熱とアスファルトの照り返しの中で着用するのは、うっとうしいものである。交番の戸棚から出して見せてくれたのは、ただの防塵用マスクだった。「今は若いからいいけど、四十歳位になった時のことを考えると不安だね」と彼はこぼした。

自動車の全売上台数の八十一%を日本車が占め、どちらを向いても日本車のバンコクで、ある自動車整備工場を訪ねた。マノタイ社長(39)はコーラートラリーで日本車に乗って優勝したこともある元プロレーサー。七年前引退し、この工場を開いた。「今、日本から来る中古車にはブローバイガス還元装置が付いてるけど、別にスピード狂でなくっても、皆それを外してから売っているんですよ。と、マフラーの触媒もね」。一酸化炭素や炭化水素、窒素酸化物などに対する規制がこの国にはなく、同じ排気量でパワーが約二十%アップするからだ。また、エンジン番号を防犯上届けるだけで、エンジンの改造は全く自由だという。

では、改造せず使う新車はどうなのか。日タイ両国で人気のある大衆車の例で、彼は説明する。「タイ工場で組み立てているヤツは3K、輸入分は2Tというエンジンを積んでいるんだ」。3Kも2Tも、日本では七八年排ガス規制を機に消えていったエンジンだ。タイでも徐々に無鉛ガソリン対応車が増えてはいるが、まだ現行エンジンの四分の三が有鉛だそうだ。排ガスで健康被害が出ることがわかっていても「ダブルスタンダード(二重基準)」が罷り通っている。車体価格が安いかというと、千三百・セダンが現地組み立てで約百八十万円、日本からの輸入だと二百万円を超している。

ソンピセット運転手(33)はバンコク名物の三輪タクシー「トゥクトゥク」に乗って十二年。「背中も痛くなるけど、一日仕事すると真っ黒の痰がでるよ」。このエンジンも日本国内では十年以上前に姿を消した二サイクル。日系工場が現地生産している代物だ。混合油の不完全燃焼ガスを遠慮なくまき散らすが、五百五十ccで大人四人を載せ、時速七十キロは優に出る。燃費も十八~二十Km/Lと効率がよい。それでも彼は、排ガス対策より、さらに強力で、耐久性のあるエンジンが欲しいという。「なぜって、そりゃ客の回転を上げて、もっと稼がなくちゃ」。彼はトゥクトゥクを午後四時から午前二時まで借りるのに二百五十バーツ、燃料に百バーツを払っている。昨日は千バーツの水揚げだったというが、いつもそんなにあるとは思えない。タイ国立銀行は九二年度の国内総生産(GDP)成長率は七.五%と概算。タイはこの数年、東南アジア一の成長を誇っている。交通安全標語ではないが、そんなに急いでタイ人は一体どこへ行くのであろう。

酸性雨に煙るODA

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煙突が林立するタイ最大のメーモ火力発電所。建設中を含め十二機のうち六号機以降は日本のODAが入っている

「メーモ火力の煤煙で多くの患者が出ている」とマヒドン大学の関係者から聞き、四月二十六日現地へ飛んだ。チェンマイから車で南東へ約二時間の山間に、林立する煙突が現れた。露出した石灰岩が冠雪しているように見える岩山を背に、手前には貯水池を抱えている。高くて二階建ての人家は、ジャングルに溶け込んで、余程注意していないと車からは見えない。

メーモ石炭火力発電所には発電ユニットが十一号機まであり、計二千二十五MWの発電能力はタイ最大。七八年に七五MWの一、二号機が始動し、八一年に三号機、八四年に百五十MWの四、五号機が建設された。そして、八五年に完成した六、七号機と、八九年から九一年を除いて毎年増設されてきた三百MWの八、九、十、十一号機は、日本の政府開発援助(ODA)の対象だ。目下建設中の十二号機も、昨年九月の円借款二百三十億円が充てられている。

「私は医師。本来、私の仕事ではないのですが、他にやる人がいないから」。メーモ病院のチャイナン院長(33)はそう言って、九〇年十月からファイルしているデータを繰る。地方勤務を命じられるタイの若い医師は、普通二年位で別の地域に移ってゆくが、彼はここで五年目を迎えた。

九三年二月バンコクで開かれた第五回職業環境医学学会で、彼は次のように発表している。九二年十月三日から、発電所南八キロのソッパート村でくしゃみや咳、喉と胸の痛み、呼吸困難を訴える患者二百十三人が発生。十一月二十日までに南東の四村を含め、延べ千百十八人が医師の治療を受け、うち三十四人が緊急入院した。また、その間に牛八頭、水牛二十三頭が死に、カボチャや唐辛子、サトウキビなどの畑計百十五km2 が枯死した。来院した患者の肺機能は、二十一歳から二十五歳までの女子が三百七十四リットル/分、二十六から三十歳の男子が四百八十リットル /分、……。どの年齢層も健常なタイ人の七、八十%に落ちている。

村の大気一m3当たりの二酸化硫黄は、九二年十月二十日午前十時には二千百二十二μgを記録した。その後、三百μg代に下がるが、十一月七日午前十一時には千二百六μgに達した。硫黄酸化物汚染が世界最悪とされるミラノや瀋陽でも二百μg代である。気象条件が加担する最悪の季節は過ぎたが、村人の健康状態は快方には向かっていないという。亜硫酸ガスは〇.〇一五ppmという低濃度でも一年以上続けて吸っていると、心臓血管系の病気になり得る。硫酸ミストが出ない日にも、村人は疲れやすい、息苦しい、平衡感覚がおかしいと訴えているという。

当初タイ電力公社は二号機の電気集塵機の故障と異常気象が原因と発表した。が、二号機は最小機で、こうした大被害とは辻褄が合わなかった。これに対してチャイナン院長は、確かに大気が滞留しがちな気象条件だったが、八九年からはそれまでの倍の容量、三百MWのユニットが毎年のように増設され、大気中の硫黄酸化物が一挙に増えたことを根源に挙げる。また、被害が出る何年も前から汚染が蓄積していた欧米の酸性雨の例を引いて、ここでも以前から兆候があったという。

タイのマスコミが騒ぎ始めた十月十五日になって公社は、八~十一号機への脱硫装置取り付け調査を急がすと発表した。そもそも公社は九一年、世界銀行の圧力で新規ユニットから脱硫装置を取り付けると公言していた。だが、それ以降に完成した十、十一号機にも装置は付いていなかったのだ。また、年間百六十万トンの硫黄酸化物を排出している既存のユニットは措置対象外である。

パッサート村のパッサディーさん(50)は十月三日の体験を語る。「朝六時、八百屋へ出かけたのですが、ジャングルのキノコが腐ったような臭いの霧が村一面に立ち込めていて、体中に赤い斑点が出て、痒くてたまらなくなったんです」。帰宅途中、赤い花が白く脱色されていたのを見たという。水を浴びてベビーパウダーを塗ったが、悪くなる一方。激しい頭痛に襲われ、涙が出て眼球が破裂しそうに痛くなった。ありったけの氷で冷やしたが効果はなく、弟のトラックで村から南西へ約二十キロのランパンの病院へ。村を離れると比較的楽になったが、目が見えなくなっていた。九日後退院したが、視力が落ち、日常生活にも事欠くようになっていた。

「ほら、見てください」と、庭の木々を指さす。一般に広葉樹は酸性雨には強いと言われているが、タマリンドやマンゴーの葉は焦げて縮れている。ヤシにいたっては、からからに枯れて白くなっている。こうした酸性雨や硫酸ミストの発生は、山がちなメーモ郡では上空に高気圧が居座る九月から十二月に多いが、村人によると五、六年前から年中起こっていたという。記者が訪れた四月は二十二日に、三月には四、五日と連続して発生し、彼女は昨年と同じ症状に苦しめられていた。

実は彼女、九二年末まで三年間、十一号機の建設事務所に事務員として勤めていた。集塵だけで脱硫装置がなく、昼間はフル運転しないで暗くなると決まって黒煙を出してたのを何度も見ている。「夜はこんな遠くの村ででも、あの不気味な音が聞こえるんです。霧が来るのではと、毎晩みんな怯えてますよ」。

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硫酸ミストで枯れたという椰子を手に、被害を訴えるパッサディーさん=パッサート村の自宅の庭で

チャイナン院長は英語で懸命に訴える。「開発も大事だが、健康はかけがえのないものです。国がこの大問題を大問題と認めないことが問題です。九三年の十月までに、公社が脱硫装置をつけるか、運転を止めなければ、もう私の手には負えない。死者が出ても不思議ではありません」と、警告した。一方、パッサディーさんは「医者が認めないだけで、発電所のせいで身体が弱って死んだ人は、私の知っているだけで四人もいますよ。みんなまだ四十代だったけど」と既に犠牲者がいると主張している

九三年十月二十二日公社は、発電量カットの他に、被害者への損害賠償を約束した。パッサディーさんも、休業補償として五千百バーツ、庭の木の弁償として三千五百バーツが支払われた。タイ人ジャーナリストは、タイ政府が損害賠償を払った初めてのケースで、農民の平均収入からすれば悪くない額だという。「私が仕事を休むだけではすまないのよ。病院へ車で送ってくれる弟も、でしょ。庭のタマリンドの実だって、一年で八千バーツになっていたわ」と、彼女はこの額では全く合わないと語気を強めた。「結局、私たちがここから出て行くしかないんですよ。でも、誰もこんな土地を買ってはくれません」。自分が生きているうちに脱硫装置が付くとは思えないと、彼女は引っ越しを考えている。ちなみに彼女たちに支払われた賠償金の総額は三百七十万バーツ(千六百六十五万円)であった。

また公社は同日、八~十一号機に装置を付けるため、四百五十億円相当を投じるとも公言している。奇しくも日本政府はその五日後、タイに対する第十七次円借款として、過去最高額の九百三十億円を供与することを決定した。政府が借款するからには、メーモでは硫黄分の多いかっ炭が使われていることも、どんな発電所が建設されるかも掌握しているはずである。事件から半年経った四月二十六日現在、発電所での工事は十二号機の新築だけに見受けられた。

チャイナン院長は別れ際、日本人記者にこう託した。「ヨッカイチなど悲痛な体験をした日本は、公害防止技術も世界一と聞いています。新規ユニット建設より先に、現在稼働中のものにフィルターをつける援助はできないのでしょうか」。

“日系”工業団地

その夜チェンマイで、ある日系工場の幹部と会った。「うちの工場は、日本と同じ処理施設を付けているんですよ。だからか、お役人や同業者の見学が毎週のようにありましてね。ですが、いつも質問に『エッ!』と驚くんです。あの内容からして、ちゃんと処理をしているとは到底思えませんね」。彼はその前に働いていた工場で、検査官が基準オーバーと判定しても、その場の“罰金”でコトが済むのを目撃している。タイの地方の土地は一ライ(約千六百平米)が百五十万円前後。建坪一ライの工場は、設備を除けば四千五百万円程で建つ。「ちゃんと公害対策したら、タイでは工場本体より高くなりますからね」と、彼はソロバンを弾いた。

翌二十七日、彼が勤めるランプーンの北部工業団地へ。九〇年に入居が始まった団地には、現在既に五十一社が操業中。うち二十五社が日系企業である。そして日系の業種には、コンピュータ部品などの電子工業が目立つ。同団地内にあるタイ工業団地公社(IEAT)によると、各工場からの排水は同公社の集中処理場に集められ、第一から第四まで四つの処理池で生物学的処理を施し、最後に塩素消毒して団地東縁のクァン川に流しているという。

ちなみにタイの「八二年改正工場法、産業排水規制第六項」によると、重金属は細分化され、クロム〇.五mg、ヒ素〇.二五mg、セレン〇.〇二mg、鉛〇.二mg、カドミウム〇.〇三mg以下と定めている。BOD(生物化学的酸素要量)は特定工場でも百mg/L以下とされている。ところが、この団地のパンフレットは、処理施設が完備しているので次の規準値内なら、一トンにつき五バーツの処理料を支払って排水できると宣伝している。一・中にシアン二・、水銀五μg以下。そしてクロム、ヒ素、セレン、鉛、カドミウムなど重金属は合計で一・以下となっている。BODは千mg/L以下なら排水でき、汚濁度にスライドし加算料金が設定されている。

工場の間を一直線に走る広い道を池の土手に近づくと、工業廃水というより、し尿のような悪臭がする。BODの高さに酷暑が拍車をかけ、排水が腐って硫化水素を発生させているらしい。張り巡らされた鉄条網の切れ目から中を覗くと、処理池は素掘りで、日本で見るような散水ろ過槽や爆気槽などは見当たらない。水面を覆う水草(ホテイアオイ)の大半が枯れているのにカメラを向けると、現れた職員に追い出された。

幅五十メートル程のクァン川対岸にあるシーブンユン村では、その悪臭で健康被害が出ていた。「普段は朝晩だけだが、雨の日には一日中臭うよ。そう、便所が壊れたような臭いだ」と、ソムセ村長。彼自身も、鼻や頭が痛く、息苦しく、ふらふらするという。人口約千二百人の村で、二百人前後が通院している。県議会に署名を提出して得た「三か月以内に脱臭対策を講じる」という回答には、村長自身あまり期待していない様子だ。

川では数人が漁をしていた。小銃の形をしたゴム式ヤスを手に、水面を窺っている。カモンさん(37)は大工だが、暇な日は漁師のアルバイトをする。多い魚はニゴイ、次にライギョ、ナマズだそうだ。どれも唐揚げやスープとして、よく食卓に上る。「工場が出来るまではもっと透き通っていたもんだ。こんな変な藻なんか浮いてなかったよ」。毎日未明に、そして降雨時には決まって汚水が出るという排水口を下流には、コンクリートの関が設けてある。「水かさを増やしておいて、あの真っ黒な水を薄めるんだ。魚が全滅しないようにな。もちろん連中が作ったさ」と、彼はことなげにも言う。水面には金属や油のような膜が浮き、辛うじて見える川底には黒いヘドロが沈んでいる。明らかにクァン川の自浄能力を超えている。

IEATの企業誘致パンフレットは「一日五千六百トンの処理が可能です。最終処理池から出る水はBOD二十ppm以下です」とうたっている。公衆衛生技師スクチャムさん(39)は厚生省ランプーン支部ではなく、自宅で取材に応じた。「処理場の排水口付近で鉛、水銀、カドミウム、クロムを、どれも〇.一ppm前後検出しました。BODは五、六十ppmです」。彼は昨年一月から地道な調査を続けている。自分で分析できない項目は、検体をバンコクやチェンマイへ送っている。分析結果から彼は「あの処理池にはそんな能力はない」と計算している。

五十余りの工場が一日に出す排水約四千トンに対し、四つの処理池の面積は計五万平米足らず。容量を大きくしようと第一池を深さを四メートルにしたが、底まで太陽光線が届かず腐敗しているという。生物学的処理に頼っているが、それは有機物に対して有効な処理で、重金属には化学的処理が必要だ。団地は南北に走る幹道で東西に二分されている。
川と接していない東ブロックの排水は、昼間一旦東側でプールされ、毎夜九時ごろまでかかってポンプで処理池に送り込まれている。そしてカモンさん証言のように、午前三時ごろトコロテン式に未処理の排水、つまり沈澱分離された上澄みではなく、腐敗し硫化物で真っ黒の汚水が川へ溢れだしている、と彼は説明する。

スクチャム技師は川の三か所で定点観測を続ける一方、市場に並ぶ川魚も調べている。「魚から出る一、二ppmのDDTは上流のマラリア蚊退治のものですが、水銀が〇.一ppm出るのは処理場が疑わしいですね」。ランプーン水道局は昨年四月、クァン川からの取水を止め、井戸に切り換えた。また、未整理と断りながら、彼は工員約一万人の血液検査の感触を話す。全体の二割近くに平均して〇.〇一ppmの鉛、水銀、クロム、カドミウムが出た。病歴を洗うのはこれからだが、二、三%は倦怠感を訴えているという。「国民の健康に責任がある」と、彼はこの調査をまとめて年内に世間に問うつもりだ。しかし、彼の友達から間接的に知ったことだが、データは上司を経るので握り潰されない保障はなく、既に「私服」が自宅に押しかけ「そんなことをしていたら、狙われますよ」と、彼は嫌がらせを受けているらしい。

「公害輸出批判に(朝日新聞)」日本のODAでバンコク郊外に建設された環境研修センターは、三千人の研修希望者が殺到する人気だ。また、九三年二月訪タイした平岩外四経団連会長に、チュアン首相は日本企業に公害対策を協力要請し、平岩氏も積極的な取組を約束している。そうした表舞台はさておき、北部工業団地の日系企業は、宣伝の数字を鵜呑みにしているのか、それとも公害規制の未整備につけ込んでいるのか。スクチャム技師の分析数値は、かつての日本のケースと比べれば、危機的なものではない。だがこの工業団地には、さらに十工場が近く完成し、百区画中すでに八十六が売れている。排水処理池は、そのままに。

経済帝国主義

いずこも公害の被害者は低所得者層である。彼らは工場やゴミ捨場の近くに住み、含鉛ペイントが剥げ落ちる部屋で、鉛管の水道水を飲んでいることも多い。そして、彼らには不健康な環境で危険物を扱うような仕事しかない。安価な魚を多食するが、汚染物質を蓄積し易いのも魚である。

タイの金持ちにとってのスラムの住人を、日本にとってのタイに置き換えることが出来る。いつか友達のタイ人記者が溜め息まじりに言ったことが頭をよぎった。「普通の人なら車にはねられても、示談金は十万バーツ(約四十五万円)までだよ」。カネでは買えない命の“値段”だ。

帰国前日、チュランロンコン大学政治学部にスリチャイ・ワンゲオ社会開発学センター所長を訪ねた。「経済を否定するつもりはないけれど、今の資本主義は帝国主義ですよ。経済が“ボーダーレス時代”なら、人権や環境もそうでなけりゃおかしいでしょ」。彼の口調は優しいが、内容は激辛だ。個人の問題として彼はこう提言する。「あなたは『タイ人』、私は『日本人』と言う前に、人間という同じ立場で考えなければね。政治家も、企業家も、学者も、それぞれ専門家である前に『人間』である筈ですよ」。

かつて手っ取り早く外貨を得るため森林を切り尽くしてしまったタイは今、旱魃と洪水に悩まされ、今度は未だ独裁政権下にあり将来犠牲が出てもウヤムヤに出来るミャンマーやラオスからチーク材を切り出している。このことに彼は触れ「市場経済で動いている政治には、環境破壊や人権蹂躪を止められない。東西冷戦が終わった今こそ、市場論理とは全く別の座標が必要です」と説く。「GNPで国際競争するのはナンセンスですね。むしろ、それぞれの条件下で、いかに上手く暮らしてゆくかで競争すれば良い。人々が生きるための経済論理なら賛成です」。スリチャイ所長とのインタビューは、最後には禅問答のようになってしまった。

機内で手にした新聞、シャムポストの一面トップは報じる。「五年間汚水垂れ流しで、罰金わずか一万バーツ」。魚を全滅させたコンケンの製紙工場に農水省が勝訴したが、四十五年前の水産法で……。四大公害病などの教訓から、公害対策先進国にもなった日本。“確信犯”とは呼ばれたくないものだ。

(文・写真/阿佐部伸一)

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