タイ干ばつの“影”1987年9月
一九八七年夏、タイの首都バンコクの表玄関、バンコク中央駅前広場に、突然、テントの簡易宿泊所が出現した。「二十年に一度」の旱魃に見舞われ、農業以外の産業に恵まれない地方から、職を求めて首都に流入した農民たちの簡易宿泊所だ。テント生活だけでなく、スラム街も、こうした行き場のない人達で膨張を続けている。「日タイ修好百年」の今年のタイは、日本など外国からの観光客誘致に華やかな行事を繰り広げているが、半面、新たな貧困も芽生えているように見える。強い光ほど、その影は濃い。以下は、こうしたタイの知らぜらる断面である。
甲子園球場がすっぽり入るほどの駅前広場に、三十畳ほどのテントが四張り設置されたのは、九月初め。タイ気象台によると、東北部が特にひどい。メコン川をはさんで隣国ラオスと接するノンカイ県では、雨期に入った五月、例年の十六%、わずか三十六ミリの雨が降っただけだった。「田植えが出来た農家なんかありませんよ」。テントの陰で、むずがる幼児に水を与えていた農婦のティアムさん(24) の目は虚ろだった。帰る汽車賃も使い果たし、一緒に来た夫は職を探しに走る毎日、と言う。
今年のタイの経済成長率予想は六%。東南アジアでは、シンガポールと並んで急速に近代化の装いを整えてきた。これを当て込んだ円高の日本企業の投資も盛んで、今年上半期だけで十八億バーツ(一バーツ約六円)。バンコクのビジネス街は、日本は勿論、欧米とも直結し、外国からの観光客もウナギ登りに増えている。しかし、地方からの出稼ぎ者にとってこうした首都の活気は眩しすぎるようだ。
中央駅からそれほど離れていないスアンプル・スラムには、やはり東北出身者が多かった。このスラムで、十六歳の少女と会った。三か月前、東北部の地方都市、コーンケンから単身、バンコクへ出た。「“夜の仕事”で得た収入の大半を、郷里の家族に仕送りしているのよ。収入は大卒の人より多いわよ」と表情は明るい。だが彼女の住まいを訪れて驚いた。板間の隙間からはドブの臭いも漂ってくる。一日の終わりにここへ帰り、どんな思いで毎日を生きているのだろう…カメラのファインダーを覗いた目の奥に、熱いものが浮かんできた。