阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

タイ止まぬテロの構図2009年8月

深南部と呼ばれるタイの最も南に位置するパッタニーとヤラー、ナラティワットの三県で、過去5年間にテロで亡くなった人が3500人を超した。人口は三県合わせて170万人ほどなので、鹿児島県一県とほぼ同じ。まるで内戦が起きているような死者の数だ。今も爆破や銃撃などが毎日のように起きていて、日本の外務省は「渡航の延期」を勧めている。事件の首謀者については「分離独立運動を標榜するイスラム系武装集団が依然として存在しており、中央政府の支配に反抗している」という見方が一般的だ。それは真実なのか、現地へ飛んだ。

パッタニーの夜明け

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要所要所に土嚢を積み、テロを警戒するタイ軍兵士=ナティラワット県イーゴーで

南シナ海に面するパッタニー市ルーサミレ区は砂地だ。午前5時前、まだ真っ暗な街にイスラム教の礼拝を呼びかける『アザーン』が響き渡る。アラビア語で「神は偉大なり」と繰り返す朗唱。さしずめキリスト教ならば教会の鐘である。漁師のハムソ・ウマさん(56)も白いイスラムキャップを被り、モスクへ向け砂を踏みしめる。ウマ家では礼拝も男女別々なら、食事も男女一緒にはしない。顔と手以外を覆うチャドルを着た妻ウェ・マリオさん(50)は家に残り、スカーフを被った娘たちにアラビア語のコーランを教える。子供たちは家族間では地元のヤウィー(マレー)語を話し、学校では公用語としてのタイ語と、合わせて三カ国語を身に付けることになる。女性が抑圧されているように見えるが、ウェさんや子供たちはこれで当然といった感じで、不満そうではない。

タイのイスラム教徒、タイ・ムスリムは人口の約4%だが、深南部三県では人口の8割近くを占めている。この地には13世紀から1909年にタイ王国に併合されるまで、パタニ王国というイスラム国家があった。首都は南シナ海の要港パッタニーで、インド人モスリムの商人が頻繁に訪れ、華南地方から移住してきた華僑がイスラム教に帰依したりしたという。パッタニー郊外にあるクルセモスクや、それを建立した中国人、林道乾の霊廟が往時を偲ばせる。

5年前の事件

「1950年頃から70年頃まで分離独立を求める反政府運動があったが、タイ政府の融和政策に下火になっていた。現在に至る連続テロのきっかけは2004年4月28日の大規模な武力衝突だった。マヒドン大学和平構築研究所のユーサリ・アウェ研究員は「5年前にクルセモスクとタッバイ警察署前で多数の死者が出たが、政府の治安担当者が犯人たちと話し合い、あんなに多くの犠牲者を出さなかったならば、事態は終息に向かい、今日のような状況にはなっていなかったはずです」と話す。

その日モスリムの若者たちは派出所や検問所を襲撃、うち30人はクルセモスクに立てこもり、包囲したタイ軍に全員射殺されている。他の現場と合わせると、この日だけで計108人が殺されたという。そのうち警察と軍の死者は5人。黒ずくめの服装の死体と一緒に「ナイフで刺されても死なない」などと書かれた『パッタニーでジハード(聖戦)』と題する文書が見つかったことから、当局はイスラム過激派グループの犯行と発表した。だが、若者たちは普通の労働者やサッカー仲間で、後頭部を撃たれた遺体が多かったことから、遺族は投降後に無抵抗の状態で殺害されたのではと憤り、殉職者として葬っている。チャワリット副首相は事件直後、「命令に従わず、モスクを攻撃した」と国軍治安作戦司令部のパンロップ陸軍大将を更迭したが、ムスリムの反感を修復するには至っていない。

ムスリムの教育

ウマさんには21歳を頭に8人の子供がいる。食事や服装、社会的男女観(ジェンダー)などの家庭教育に加え、イスラム学校へ通わせている。長男ウー・サフィさん(21)がパッタニーにあるイスラム大学に通っていることを誇らしげに話す。この大学にはタイ全土だけでなく、マレーシアやブルネイ、インドネシアなど周辺諸国からも留学生が多いという。「このごろ教育のない人は生活が苦しく、周囲からも尊敬されず、ひどい状態じゃないですか。無学な私の人生のようにならないよう、子供たちには高い教育を受けて欲しい」とウマさんは話す。

タイ政府はムスリムに対する同化政策として、1961年からこうしたイスラム学校を登録制とし、カリキュラム指導と財政援助を行ってきた。それでも公立校とは価値観や行動様式で開きがあり、例えば、男女で教室が異なり、男子生徒には男性教師が女子には女性教師が教えている。中東の大学へ留学してイスラムの知識やアラビア語の能力を高めても、タイでの雇用には繋がらず、ムスリムの慢性的貧困の一因となっている。

高い教育を受けて広い世界を知るに連れ、自由や人権の考え方でイスラムの価値観と相反することはないのか、ウマさんに訊いてみた。「子供たちは小さい時からムスリムの心を持っているので、大丈夫です。娘は教師志望だけど、子供たちにもイスラム式に教えられますよ」。子供たちもムスリムのコミュニティ内で生きていくという大前提に、そんな不安は微塵もないようだ。

小学校に兵士

一方、爆破テロがあったニアン村の小学校では、兵士が小銃を持ったまま、子供たちと遊んでいる。教師のダルニ・ペッカラーさん(57)は「もう子供たちは兵隊に慣れていて、それに軍服が好きなんですよ。だから、悪い影響はないし、軍は学校の活動を支援してくれています」と、これが日常の風景と言わんばかりだ。小学校の給食は、何でも食べられる仏教徒の子供たちがムスリムに合わせている。「気をつけていることは特にないです。最も大事なのは家庭教育で、子供たちは理解していますから」。ムスリムと仏教徒がずっと助け合って暮らしてきた村なので、それぞれの価値観を持った子供たちを一つの小学校で教えることも難しくないという。ただし、「ヤウィー語は彼らの言葉だから『タリカ』という塾で学んでいますが、タイに住んでいたらタイ語は不可欠なので、学校ではやはりタイ語を教えています」と、同化教育がなされていることは明らかだった。

見えない構図

タイ深南部のテロは不可解だ。5年前の事件こそ警察や軍の施設が攻撃対象だったが、それ以降テロは民間人が集まる街でも起こり、犠牲者の9割が一般市民となっている。ヤラー市郊外にあるニアン村の市場で雑貨店を営むシリポーンさん(62)は店の前にを一人の兵士が通り過ぎた瞬間、広場で爆発があったという。指射す地点は、30メートルと離れていない。未だに右耳にガーゼを当てているシリポーンは「私は直ぐに家の中に入り、みんなも私の家に逃げ込んできました。私はケガのほかに、あれ以来、耳鳴りがするようになって病院に通ってます」と話す。彼女は仏教徒だが、この村へ嫁いで来て40年、ムスリムたちと食べ物を分け合ったりして、ずっと仲良く暮らして来たので、テロがあったからと引っ越すつもりはないという。政府や国際世論にアピールするため警察署や空港、ホテルなどを攻撃するのはテロリストの常道だが、こんな田舎の市場で爆破テロを起こすのは、何が目的なのか全く理解に苦しむ。

2005年7月14日ヤラー県の変電所が爆破されて停電した街で、デパートやホテルなどで同時爆破テロが起こったのを機に、タイ政府は南部3県に非常事態宣言を出している。国道には町や村ごとに検問所があり、土嚢が積まれ、自動小銃を持った兵士がバイクや車をチェックしている。また、イギリス製の爆弾探知機を持った小隊が巡回していて、人が集まる所に爆弾が仕掛けられていないか調べて回っている。さらには、記者の携帯電話がこの三県に入ると不通になったのもテロ対策。携帯電話が遠隔爆破に使われる恐れがあるため、登録した番号の電波しか受け付けなくしているからだ。

取材で往き来した国道沿いには、爆破されたまま、まだ片付けも済んでいない企業や店舗などの焼け跡が目に付く。半日違いで事件も起こっていた。バイク店で人が死んでいると通報があり、警察が駆けつけると、店主が殺され、バイクに爆弾が仕掛けられていたというように犯行も巧妙になってきている。

超法規的措置が招く泥沼

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濡れ衣を着せられたと弁護士事務所に助けを求めるムスリムのゴム園労働者と妻子=ヤラー市で

こんな南部に10年暮らす日本人ムスリムがいる。ソンカー大学パッタニー分校でマレー語の特任講師をしている原健一郎さん(32)。「以前は夜でも全然心配なく出歩けたのが、今だと前からバイクが来ると恐いんですよね、撃たれるんじゃないかと。それに、危険な所だというイメージが定着して、県外から学生が来なくなったり、堪ったもんじゃないですね」。原さんは他所で仕事があれば引っ越したいと言いながら、一方で地元住民が苛められていることへの憤りを感じている。「この国には治安維持法はないんですが、その代わりに警察官が逮捕状もなしにしょっ引くんですよ」。実際、彼が受け持っている学生の親や親戚たちが証拠もないまま2週間から7カ月拘束され、取り調べられたという。「超法規的に逮捕し、冤罪と判っても賠償金は一切出さないんですよ。そりゃ、怒るでしょ」

ヤラー市内の弁護士事務所で、殺人容疑で逮捕された30代のムスリム=ゴム園労働者に接見した。保釈金代わりに親戚の土地権利書を納めて保釈され、弁護士に相談しているところだった。「私はただ仕事し、塾で子供たちにヤウィー語や宗教のことを教えているだけです。警察や軍は、指導者とか、イスラム教の戒律を固く守っている人を嫌っているようです」

彼は自宅の庭でナツメの木に登って実を採っていたら、兵士を連れて現れた警察に連行されたという。彼と同じムスリムのゴム園労働者殺しの容疑者とされたが、証拠は警察署での面通しで、幼児に彼を指差させただけだという。赤ん坊を抱いて同席した妻は「全てのイスラム教徒を抹殺したいのだろうけど、子供は無垢なので、流石に手を出さないけれど、子供たちを指導している大人たちがいなくなれば、子供たちに自分たちの思うような教育ができると考えているのでしょう」。実際、教師が狙われる事件は多く、この5年間に120人以上の教師が殺されている。

裁判を準備するディーラユット・ホンブリン弁護士(60)は「彼のケースはイジメの類ですが、トラックの80数人が死んだ事件は政治的なもので、政府がいくら御託を並べても納得できないですね」。弾圧とも取れる不合理な逮捕や、虐殺とも見える処刑が、テロ問題に油を注ぎ、泥沼化させていると憂うディーラユット弁護士は「ここでイスラム教徒を差別すると、大きな問題に発展します」と、特殊な土地柄を指摘する。

モスクを銃撃

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包帯が外れたばかりの傷を見せるマカターさん=ナティラワット県アイパイェ村で

今年6月8日午後8時、ナラティワット県アイパイェ村で不可解な虐殺事件が起こった。こともあろうに、モスクで礼拝中のモスリムが銃撃されたのだ。百発以上の銃弾が撃ち込まれ、12人が死亡、10人が重傷を負い、無傷だったのは2人だけだった。内外の壁や窓に弾痕が残るアイパイェモスクを訪ねた。「バンバン、バンバンって周囲から銃声が聞こえて来たんです」。生き残ったマカターさん(36)とアユさん(46)は、犯人は大勢だったが、姿を見る余裕などなかったと証言する。マカターさんは、左腕を肩から縦に銃弾が貫通。アユさんは尻から腹へ弾が貫通。二人ともガーゼが外れたが障害は残り、腕を吊り、松葉杖をついている。この村は事件まで平穏で、脅迫などの前触れなどは一切なかったという。

タイ政府は「分離独立を目論むイスラム過激派の犯行」と主張するが、アユさんはデマだと断言し、マカターさんは「あなたはどう思います?ムスリムが礼拝中のムスリムを襲撃するわけないでしょ」と否定する。約450人の村人も納得していない。現場に残された銃弾の線条痕から、銃は昨年1月の殺人事件に使われた同じAK47と判り、取材時点では一人、タイ人の仏教徒、スティラット容疑者が逮捕されていた。事件の根底にはモスリムと仏教徒の対立があると思うかと訊くと、マカターさんは「それも一つあります。仏教徒が死ぬ事件があると、今では何でもイスラム教徒の仕業だと言われます。逆に、イスラム教徒が死んだ時には、仏教徒がやったと言われます。その問題は続いています」と。

アイパイェモスクには事件以来配備されている小隊の隊長は「命令は、村人が怯えているので、平常通り仕事できるよう管理することです。毎日事件が起こっているパッタニーに比べると、ここは静かだよ」という。だが、閑静な村に自動小銃を構える兵士の姿は浮いて見え、住民に圧迫感がないとは言い難い。

ムスリムたちの心情は

地域の信望が厚いウマさんは区議会副議長を任せられ、土地やインフラ整備を担当している。彼の観測はこうだ。「この三県のムスリムは、テロの背景には黒幕がいると思っています。しかし、彼らがムスリムではないから、誰かは判らないんです」。イスラムコミュニティーは緊密で、誰が何をやっているか、お互いよく知っているという。「背後にいる人、闘わなければならない相手を捜索しなければならないのに、今の政府は的外れな対策を採っていると思います。例えば、我々ムスリムは貧しいのに、武器弾薬はどこから調達されているかなど…」。

タイからの分離独立勢力についてウマさんは「タイの一部でもありますが、この3県はイスラムの土地だというのは真実。全部自分たちで治め、全責任を持つというなら、心情的にはそれを実現して欲しいと思います」と、ちょっと驚くような発言があったが、質問の趣旨を理解しているので、この地のムスリムの心情を代表したのであろう。「ムスリムを分裂させようと、誰かが情報操作しているとすれば、分離独立の問題が起こる可能性はあります。そんな陰謀を持った人がどこから来ているのか、私には全然わかりませんが、政府はそれを掴んでおくべきです」と、区役所に勤めるウマさんはそつなく結んだ。

タイ政府のスタンスは

ヤラー県庁では正門に遮断機と検査台を設け、車に爆弾が仕掛けられていないか一台一台厳重にチェックしている。2004年には314人だった死者が、07年には1015人を記録。当地の最高行政府は、一連のテロをどう見ているのか、キッサダー・ウンラート副知事(52)に訊いた。

「タイ政府の国家治安担当者の調べでも、国際テロリストの仕業ではないと断言できます。これはタイ国内の社会的対立や矛盾から起こった問題です。タイのムスリムの一部が自分たちは虐められていると誤解して、こうした事件を起こしてるのです。彼らは『自分たちは公正に扱われてない』と政府や公務員に示そうとしている。政府にもっと自分たちの面倒をみてくれ、開発してくれとアピールしているのです」。キッサダー副知事は、この地方のムスリムの6割以上が国政選挙や国王を祝う祭などに参加していることからも独立運動を否定する。「だから、事件は過激だけど、犯罪の一種で、東チモールのような紛争でもないし、英国のアイルランド問題とも違います」

タイ政府は今年6月のアイパイェモスク襲撃事件の翌日、テロ被害者の救済に4億バーツの予算投入を決めた。被害者だけでなく、地域開発に注ぎ込み、モスリムの協力を得て「テロリスト」を焙り出すのが狙いだ。キッサダー副知事は目下、テロ防止策として平服の公務員を地域に派遣し、不満を吸い上げる一方、自治組織作りに励んでいると言い、ピーク時は年間800件ほど起こっていたテロが、今年は300件を切るという見通しを挙げた。

現世は質素に暮らすムスリムたち

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状況を説明するキッサダー副知事。タイは選出ではなく、内務省からの派遣。彼はこの取材直後、知事に昇進している

タイは80年代からASEAN(東南アジア諸国連合)の優等生と呼ばれるような経済発展を遂げてきた。南部出身のタイ華僑で、チュラロンコン大学経済学部コンサック・ソンテパックスゥオン准教授は、一連のテロの背景をこう分析する。「もともと深南部はゴムや錫、漁業で豊かな地域なのですが、現金収入が必要になると森へ入ってゴムの樹液を集めて来るといった生活に甘えてきたとも言えます。タイで勤労意識が高いのは華僑、タイ、ムスリムの順で、教育や経済で格差が付いてきました。そこへ世界的にムスリムが力を持ち始めたので、彼らも『虐められている。不公平だ』と言い始めたのです」

軒先に吊り下げられた籠で小鳥が鳴き、カシューナッツの実を叩き割る音が聞こえる河口にウマさんの鎚音も響く。地元のムスリム、ウマさんは暇を見つけては、古い漁船の修理に余念がない。外貨を得て、豊かになるため、タイの他の地域では独自の文化を失い、生活様式も変えてきた。だが、ここ深南部三県は経済発展から取り残されたと言われるが、地域の文化が色濃く残っている。違う言葉を話し、一日5回の礼拝に基づき時間の使い方も異なり、モスリム同士では無利子という経済観念、果ては絶対に火葬しないという埋葬方法までイスラム教に基づく独特な文化が根付いている。

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漁の合間に、この4回目の礼拝をするウマさん(奥)とウーさん=パッタニー沖の南シナ海で

漁師が本業のウマさんは天候が良ければ、長男ウーさんと夕方から漁に出る。小さな木造船で刺し網を流す漁法は20年以上前と変わっていない。網を下ろし終わった後、ウーさんが船の掃除を始めたのは、この日4回目の礼拝の準備。海の上でも日没に合わせ、伝統的な衣装に着替え、ポリタンクに入れて持参した真水で手や口を清める。二人が拝むのは、遙か水平線の向こうのメッカである。

礼拝を済ませると、網の引き揚げにかかる。「潮がこんなだから、獲れないね。今月に入ってから、ずっとこんな日ばっかりだよ」。ウマさんが営むような零細沿岸漁業は、魚が獲れても、一回の漁の収入は3千円ほど。ムスリムは「天国へ行ける」と現世では戒律を固く守って質素に暮らしている。翌月は年一回のラマダン=断食月。イスラム教のカレンダーで9番目の月に新月が見えた翌日から29日か30日間、日の出から日の入りまで飲食や喫煙を断つ。持ち帰った鯖を妻のウェさんが頭と腑を除き、油で揚げた。ウマさんは遅い夕食を取りながら、ラマダンについて説く。「世界中のムスリムが貧しい生活を想像して、断食するのです。金持ちも食べずに、飢餓感を皆で共有します。どんなにお金を持っていても、あの時はお腹が空くものですよ」。

新自由主義経済が行き詰まり、格差が拡がっているのはタイ深南部に限ったことではない。一度は欧米化したイスラム国家では回帰現象が見られ、欧米では移民以外にもムスリムの人口が増えている。止まないテロを単にタイの内政問題と見過ごさなければ、テロ撲滅のヒントがここにあるようだ。

(文・写真/阿佐部伸一)

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