阿佐部伸一 リポート集

東南アジアの人びと

ビルマ(ミャンマー)止まぬ軍の弾圧 叶わぬ願い2023年4月

のさばる国軍 打開策は ~現地からの証言と分析~

ThreePagodaPass
国旗が立っている所はミャンマー領だが、コロナ禍が収束しても閉鎖されたままの国境=タイ側スリーパゴダパスで
BMkyotoCP
ミャンマーの惨状を街頭で叫び、避難民への募金を集める在日ミャンマー人と日本人有志=京都市で
KarenRefgee
村では国軍から隠れて山の中に寝泊まりしていたと話す避難民のノンピーさん(37)=タイのサンカラブリの山中で
fledNLDmp
首都ネピドーでクーデターに遭遇、命からがら避難してきたミッチョーテー国会議員(43)=ミャンマーのカレン州で
ArmedGroupes
カレン州には指揮系統が異なる武装勢力が少なくとも5組織あった
People's Defence 
 Force
民選の国民統一政府(NUG)も21年5月に創立を宣言しえいる国民防衛軍(PDF)のキャンプを初めて訪ねた=ミャンマーのカレン州で
 ミャンマーでは不完全ながらも民主化が進み、平穏な日々が10年ほど続いていた2021年2月1日、軍がクーデターを起こし、全権を握った。総選挙で民主派が8割以上の得票を繰り返し、この流れでは軍の政治への関与を保証していた憲法が改正され、軍人たちは特権を失う寸前のことだった。1988年ビルマと呼ばれていたミャンマーで起こった民主化闘争をカレン州で取材し、民主派が勝ち取った91年の総選挙もラングーン(現ヤンゴン)から報じた者として、今回の軍事クーデターには憤りと同時に、ミャンマーは結局1948年の建国以来ずっと軍が牛耳る国なのかという脱力感も禁じ得なかった。

軍はクーデター後、横断幕とプラカードしか持たないデモや市民的不服従運動(CDM)という職場ボイコットなど平和的手段で抗議する市民を虐殺し続け、特に民主派の国会議員や党員は狙い撃ちにしている。看過できない不条理に、やはり憤りの気持ちを抑えきれず、過去2年間に学者や在日ミャンマー人らの協力を得て『緊急座談会in東京 自由と命を守れ!』と、知人友人から送られてくる現地映像を使って『急がれる承認 ミャンマー国民統一政府』を、そして新型コロナ禍で非常に複雑になっていた渡航手続きをクリアさせ、タイ・ミャンマー国境で『自由戦士 再び銃をとる』を制作・報道した。

ミャンマー近隣の東南アジア諸国でも民主化とは逆行する強権独裁に屈したり、甘んじたりする市民が増えていて、クーデター翌年にはロシアのウクライナ侵攻が始まった。ミャンマーの惨状が霞んでいくなか、在日ミャンマー人と有志の日本人たちは「ミャンマーを忘れないで!ミャンマーを助けてください!」と日本各地の街頭で叫んだり、弾圧や虐殺を知らせるウェブサイトを運営したり、集会などを開いたりしている。一方、日本の政府や企業は、ミャンマーでも影響力を強める中国に対抗して、国軍との事業継続を優先させ、クーデター後も民選された国民統一政府(NUG)を承認、支持していない。民主主義を標榜する日本政府として、これはダブルスタンダード、ご都合主義としか言い様がない。

クーデターから2年が経ったが、国内の民主派勢力も国際社会も軍の悪行を止められず、投獄されたり、殺されたりする市民は増え続け、今年2月17日には収監された人が1万5,882人、殺された人は3千人を超してしまった(政治犯支援協会AAPP調べ)。

スマートフォンとSNSが普及し、断片的には被害状況や談話などが入ってくる。しかし、脈絡があるインタビューや事実関係が分かる映像は、その前後の時間やレンズに写る外側を想像しながら編集しなければならない。加えて、自動的に論文や記事を生成するChatGTPが急速に広まる今だからこそ、現場へ行き、会って話を聞くという基本姿勢がこれまで以上に大切になっている。

国軍は新型コロナの感染対策を、デモや集会だけでなく、ジャーナリストの取材を阻止する口実にも使った。前回はミャンマー領を目の前にしながらミャンマー国内の取材を断念したが、今回は新型コロナが収束し、手引きしてくれる現況に通じた人物にも巡り会え、ミャンマーのカレン州に入ることができた。

ただし、腰にロンジーを巻き、木綿の首巻で汗を拭き、足元はゴム草履といった現地の男性と同じ格好で、カメラは家庭用の小型で三脚はなし、宿舎には午後6時までに夕食も済ませて戻るという制約下での取材だった。というのは、特に拠点となっている都市周辺には国軍から国民防衛軍(PDF)まで、指揮系統が異なる武装勢力が少なくとも5つ混在していて、外国人ジャーナリスト以前に目立つこと自体がハイリスクだからだ。

ところで、国軍とPDFはカレン州では新参者で、ここにはビルマ建国以来、自治独立を求めて軍と戦ってきたカレン民族同盟(KNU)がある。しかし、軍はカレン州内にパゴダを建立するなど仏教を利用して懐柔。1994年には軍政寄りのグループを離反させ、民主カレン仏教軍(DKAB)とした。また、2011年にはカレン州内のインフラ建設やカジノの利権を条件にDKABの9割を国軍直下の国境警備隊(BGF)に編入させている。しかし、今回のクーデター後、BGFは住民から孤立し、その一部が民主派側に寝返って、1月23日の警察署などの襲撃に加わったという情報もある。

軍のロヒンギャ族への弾圧も大量の難民を出して世界的な問題になっているが、今回少数民族ではない人口の6割以上を占めるビルマ族の国民が何千人も殺されていることから、ロヒンギャ族を差別していた国民にも大きな気づきがあったと思いたい。軍がロヒンギャ族をスケープゴートにしていただけで、要は軍の意に沿わない人は誰であろうと殺すということに。

今回国境の向こう側で、軍による殺戮が止み、ミャンマーが民主化へのレールに戻るためには、どんな支援が必要かと考えた。続出する避難民への緊急人道援助は変わらず必要だ。しかし、それで避難せざるを得ない人が減るわけではない。長年続いたカンボジア内戦の終息と何十万人もの難民帰還は、パリ和平会議が発端だった。ミャンマーの場合も、民選された国民統一政府(NUG)を軸に各勢力が和平と民主化への会議が持てるように支援することが不可欠だ。何故こうした考えに至ったか、ビデオリポートをご覧いただきたい。

【訂正とお詫び】 ビデオの中で、藤田哲朗さんの年齢37歳は誤りで正しくは34歳、民主カレン仏教軍の略称はDKABは誤りで正しくはDKBAです。

(文・写真/阿佐部伸一)

トップに戻る