カンボジア芽生えた民主主義1998年8月
カンボジア人たちによる初の総選挙(定数122)が七月二十六日行われ、 フンセン氏率いる人民党が過半数六十七議席を獲得した。和平協定、国連平和維持活動と大きく貢献してきた日本は、 この選挙でも最大の援助国となり、オブザーバー三十二人を派遣した。和平の総仕上げともいえる投票日前後の現地を歩いた。
カンボジア総選挙
「二週間は消えない投票済みを示すインクだ。投票は九時間だから、今回は二重投票などあり得ないよ」。全国選挙管理委員会(NEC)のレン・ソチア広報局長は悪戯っぽく笑って、記者の右人差し指をインク瓶に浸けた。この原稿を書いている指は、まだインクに染まっている。
昨夏の市街戦で援助と投資が途切れ、経済が逼迫するなか、カンボジア人は徹夜も厭わず働き、選挙準備の大幅な遅れを取り戻した。その結果、選挙を予定通り迎えられ、日本からの千五十万ドルをはじめ、友好国も選挙を支援してくれたと彼は明かす。二十二日には日本の追加援助で無線機が揃い、選挙本部と書く投票所との連絡も万全と胸を張った。
オブザーバーとしてプノンペン入りした神戸大学国際文化学部の依田博教授(53)は、「選挙が管理できるか否かは、一国の自立性に関わること。問題なく行われれば、日本政府も物心両面から援助できるようになるでしょう」と展望した。オブザーバーは不正を発見しても、関与せずに書面で国連へ報告する。「公正さを判定する国連のプレゼンスが暴力の“歯止め”になっています」と彼は力説した。
公正で自由な選挙を目指す政府に対し、国民は何を望んで参政するのか。首都のスラムの道端で小さな魚を焼く親子。チャン・ターさん(35)「フンセン首相が好きです。ポルポトの虐殺政治から助けてくれたから」と人民党を支持するが、一方で「ちゃんとした家に住みたいけど、どうしたらそのカネを稼げるのか」と途方に暮れる。干ばつに悩む農村でテン・ハさん(33)は「政府は環境を保護して欲しい」と言う。政府は川沿いの森を切るのを許し、警察はユオン(ベトナム人の蔑称)が稚魚を採るのを見逃していると、彼はその目撃談を交えて訴える。また、「ベトナムからの安い野菜を止めてくれないと、食い上げです」とも言う。環境や人権を重視する野党支持の彼だが、どの党も自由化が進む国際社会への仲間入りとの間でジレンマに陥ることは必至だ。
内外が見守るなか「自分たちの選挙」を実感
二十年以上続いた内戦の傷も深い。地雷で左足を失い田仕事ができなくなったペック・ロムさん(31)は身障者職能コースを 終えたばかり。「どんな仕事でもいいから」という願いを託して一票を投じた。五か月前に結婚したと答えて、初めて笑みがさした。 新郎も片足だが、平安は彼女の元にもやってきた。
昨夏の戦場となった空港近くのロングチャ村の投票所。七人の子供を連れてバサック山へ避難したという監視員のナ・リットさん(43)は、 「今度の選挙は何も起こらず、いい調子だ」と満足そう。NEC臨時職員を務める小学校の先生たちは、 「相談して記入したは駄目ですよ」と模範選挙を指導する。ここでは五百六十三人が投票、 九四.一%という投票率が国政への期待の大きさを示していた。
翌二十七日午前七時、校庭のタマリンドの枝に吊るされたホイールが叩かれ、開票開始が告げられた。皆に見えるように一票一票を高く掲げ、声を出して読んでいく。電卓さえない村ぐるみの人海作戦。彼らが「自分たちの選挙」を実感していることは、その明るくも真剣な表情が物語っていた。
こうして全国一万千六百九十九か所の投票所で繰り広げられた歴史的選挙は、三十四か国からのオブザーバー約五百人と地元非政府機関(NGO)の約六万人、そして三百人余りの外国人記者に見守られた。投開票所に一丁ずつ配備されているはずの小銃は、この平和なカンボジアでついぞ目にすることはなかった。